クラスの主流派が非主流派や目障りな奴を貶めるときに、相手が主流派でないことを攻撃の口実にするやり方と似ている。

最近思うのが、人格攻撃と強い批判の線引きが曖昧な人にとっては強い批判≒人格攻撃になってしまうのだなと思った。読んでもらえばわかる通り私が何かを批判するときは人ではなく、発言を批判するようにしているのだが、その辺の微妙な違いを読み取ってくれる人ばかりではないということはもう少し気に留めておいた方がいいかもしれない。


最近、すごく嫌なことがあって、とてもイライラしているし俳壇というものに失望している。そこで俳壇の彼らと一緒に笑うことができないということを、まざまざと思い知らされた。
あと、あまり安定した心持ではないのでTwitterの釣りには手を出してしまった。バランスを欠いていたと思う。俳壇の内輪で行われるいじめ遊びは、クラスの主流派が非主流派や目障りな奴を貶めるときに、相手が主流派でないことを攻撃の口実にするやり方と似ている。それがあまりにも自然に行われるため、その醜悪さや恥ずかしさを訴えても周りの理解を得られない絶望感がある。
理由のないいじめなどないとうことを、いじめる側は最大限利用して、自らの正当性としているようだが、多くの人はそれに何の疑問も抱かないのだろう。

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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/21(土)00:48

むじなメモ

むじなの座談会を読んで震災詠から考えていたら随分時間が経ってしまった。短くまとめることはできないけど、しかし長々と書いても遠ざかるようで難しい。いくつかの断片的な感想を以て、自分自身のヒントとしたい。



神野紗希という人選は良かったと思う。俳句2011年5月号の被災地への励ましの一句という依頼に対し、「良心的拒否」と迷った上での、神野紗希の身辺詠は、被災地以外の人間があの時点で俳句を通してどうするのか、励ましと言われておそらく多くの人が戸惑いと割り切れない気持ちを覚えたと思うが、その戸惑いにきちんと正対したものだったと思う。

暁鴉・睡魔・マイクロシーベルト   神野紗希
「詩歌の力」という語の乱用を避けたい。本当の詩歌の力は、何も言わなくても、しずかで深いところで、変わらずはたらくと思っている。(俳句2011年5月号)

その神野紗希が震災詠について、その場にいなくても、そこにいるかのような句になればと言っていたことに注目した。それは装えばいいであるとか、上手く詠めばいいであるとかとは全くの別物である。
私達には想像することは許されていて、その許しに対してこちらが差し出せるものが、「その場にいるかのように詠む」なのではないだろうか(要検証)

あとは、むじなメンバーそれぞれの主に震災詠が詠めなかった、詠まなかった理由について、東北と一口に言っても被害程度が地域によって全然異なるという点、短歌と俳句の違い、より影響を受けた被災者に読まれるという迷いなどが挙げられていた。もちろん、被災地だから、被災地に近いからという理由で震災を詠まなければならないなんて馬鹿な話はなく、しかしだからこそ、詠むには自身の中に確固たる理由がいる。あるいは、現実に入り込んで固定化してしまった震災の傷や傷跡までもを、自然として認める俳句の眼によって、結果として震災詠になるということはあるだろう。

むじな作品の中では
唯一、直接的に震災とつながるものを詠んだのは

蠅生る除染袋を押し退けて   一関なつみ

だった。

通勤中で今日はむじなが手元になく、不十分、未消化な点はあったが、思い出しながら書くということで、出てくるものが知りたかった。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/13(金)08:18

皆いったいどんなシステムで感情コントロールしてるんだ


気が狂いそうで泣き出した僕がまともなんだよ。

昨日の夜は寝てしまった。一応残業で帰れないなんてことはないんだけど、ものすごく消耗することばかりで、家に帰ると途中でソファや床で寝てしまう。妻はもう諦めて起こさなくなったし、起こされても起きれないので、それでいい。三時とかに起きて布団に向かうんだけど、俳句のイメージを突き詰める力が減衰しているのがわかる。面白いテーマの連作を編もうとしても若い頃は舌頭千転などではとても足りないほど工夫したものだが今はそれすらも有り合わせの型落ちの工夫になってしまい限界を突き破れない。心無い奴はじゃあやめろよと何の臆面もなく言うけど、難しさは人それぞれ違うというのに簡単にそれを口にするような奴という時点で思慮が浅いんだなと思う。
そうはいっても、若手の最近の句の先進ぶりは凄まじいものがある。自分には曲げられない関節をいとも簡単に曲げてしまう。
過去の名作と評価されたものをひたすら取り入れて模倣し今の自分が確立してきたのだけど、そういう工夫は卒業して、次のステップとしては、若手やベテランなどのカテゴリにとらわれずまだ評価されていない次の時代の名作をいち早く見つけ、それを信じて取り入れようと思う。結局模倣には違いないが、評価の定まったものを盲目的に取り入れる段階は過ぎたということが、この十余年の成果かもしれない。たったこれだけの成果かもしれないが、ちゃんと進んでいるし、進んでいるからこそ難しく感じるのだろう。大丈夫。




俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/05(木)08:24

続・綿菓子日記2

片耳のイヤホン花見疲れかな

学生時代に入っていたサークルのホームページを久しぶりに検索したが、閉鎖されていてコンテンツが全て削除されていた。そこには俳句を始める前の私の日記とも詩ともつかない短文が掲載されていたのだが、今調べるとウェブサービスごと終了してしまったようだ。CGIBOYの日記のススメというのだが、ご存知の方はいるのだろうか。ほとんど内容については覚えていないが、友人が早く更新しろというくらいだったから、ちょっとは面白かったのかもしれない。それがだんだん法職課程の講座に時間を取られるようになって、ほとんどサークルには近づかなくなった。法職課程とは一応法曹を志す人向けに司法試験予備校の伊藤塾と提携した講座なんだけど、民事訴訟法あたりで挫折してしまって、ついていけなくなった。
そして、サークル関係で生まれた他大学との付き合いも、勉強へのやる気も失くしてしまったところにやってきたのが俳句だった。当時はサークルでの渾名をそのまま俳号として使っていた。89、ヤクでもバグでもなくバクと読むんだけど、なぜそんな名がついたかは思い出せない。多分ささいなきっかけなのだろうけど、前述のサークルの日記は89日記というタイトルだったから、それなりに気に入っていたんだと思う。氷床が消えてしまうみたいに忘れそうになっていた。


綿菓子日記 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/04(水)02:08

むじなを読む(途中食レポみたいになりそうになる)

去年の文フリで東北若手俳人集「むじな」を購入した。

作品集ではなく俳人集となっているところも特徴のひとつだろう。
巻頭言で触れている「大学がそれほど多くない東北では、すぐに会いに行ける距離に切磋琢磨できる若手が大勢いる、とうわけにはいきません」という現実に対して、東北にゆかりのある若手が横断的に集まるむじなという場はひとつの答えになるだろうと思う。

内容は東北在住作家作品、東北出身作家作品、対談(ゲスト神野紗希)、寄稿、句会紹介、作家紹介などなど、100ページの中にぎっしり詰まっている。表紙はむじなの題と2017という西暦のみ、裏表紙には田、果樹園、荒地の地図記号のみとシンプルでセンスのいい作りになっている。

作品はまず、東北在住作家から
涼風
ゆつたりと回る潮の香扇風機  浅川芳直
匂いとは濃淡があってより強く感じるものだろう、そして南国のそれではなく東北の夏という濃淡がより強く潮の香を意識させる。そこにおおらかな人工物である扇風機のゆったりとした首振りがほどよく溶け合う。

今週も泣かなかったよ冷蔵庫  岩瀬花恵
全体を通してパーソナルな句がならぶ。特に掲句は、つぶやく相手がもちろん人ではなく、ぬいぐるみなどの甘々のものではなく、四角の冷蔵庫であるところが面白い。殺風景な部屋に低いかすかな音で唸る冷蔵庫、部屋に在るものの中では唯一人に近い大きさなのだろう。冷蔵庫の灯りは優しいと思う。

臘燭になる
中指で混ぜる二色のかき氷  うにがわえりも
恋愛や性愛を意識させる句が並ぶ中、この句もその慣性のなかで読まれることを想定しつつ、かき氷の冷たさが、「これはあくまでもかき氷ですよ」と変にブレーキをかけてきて悩ましい。かき氷は混ぜると汚くなるし、溶けてベトベトになる。

灰色の文字は濡れているように見える
暗がりに浴びて藤とはそのけはひ  紆夜曲雪
連作全体の流麗な調べ、旧仮名の曲線をかなり意識して見せていると思った。その中でも掲句は、藤の気配を藤の本質であると示し、それを旧仮名によって見える化した。音と視覚の調べが意味以上に感覚に訴えかけてくる。

偶蹄類
秋風のしみる靴底金欠ぞ  及川真梨子
金欠に対するやや常套的でストレートな感慨に、この句を即き過ぎの句としてしまい、正しく評価し得ない人もいるかもしれないが、それはもったいない。ぞの係助詞の強い踏み込みが、靴底の冷たい実感として迫る。

ヤム
ねずみ花火きらいわたしに似ているし  工藤玲音
若者の自嘲であるが、ほとんどi音で構成された本作の口ざわりの良さはなんだろうか。特に最後の「いるし」に口語ならではの魅力がぎゅつと詰まっていて、口にした瞬間から連なりながらほろほろとこぼれていく。口が舌が勝手に動かされてしまう。なんか食レポみたいになってきたぞやばい。

トム・ヤム・クンと名付けし金魚ヤムが死ぬ 工藤玲音
本来縁もゆかりもないタイの代表的な料理になぞられて、全く関係のない三匹の金魚に名前がついた。そのうちの一匹が死に、名前の完全性が削がれてしまった。そのある意味、身勝手すぎるがゆえの淋しさを負わされる残りの金魚だが、金魚たち自身は一切そのことに関与し得ない。私の記憶で類似のものを辿ると、好きだった女の子に一度も好きだと言えないまま気付かれないまま離れてしまった記憶に行き当たるのだけど、真面目な話、そういうことだと思う。

街いろいろ
春雨や橋に結ばれしスカーフ  佐々木萌 
春雨のやわらかな質感と雨ざらしになるスカーフの垂れ下がりよう。誰かが見かねて、放っておくでもなく、かと言って届けるでもなく、橋に結わえて、持ち主の来るに任せたのだろう。この距離感、この距離感が作中に心地よく通底している

雲の峰
会話なく揺れる座席の登山帽  佐々木もなみ
安心感のただよう会話のなさだと思う。連作の流れからして列車の座席だろうか。座席に登山帽をかぶった人たちが話すのでもなく、ただ駅につくのを待っている。静かなのではなく、おそらく列車や風の音などが気持ちを充実させているのだ。

縁―えにし―
春の宵集ひ始むるフットサル  漣波瑠斗
本当に何ということのない句ではあるが、ぽろぽろと一人一人、あるいは連れ立って、春の宵の薄青い街の中をラフな格好でフットサルをしに集まるのは、とてもいい時間だと思う。

すかすか
車両基地すかすか雨の七月の  佐藤廉
じっと、観察をしていても何も起きない基地にただただ雨が一定の調子で降り続いていく。線路の引かれた建物の暗い入り口や窓から中ががらんどうであることがうかがい知れる。

アンサンブル
風鈴や金平糖の売り場より  天満森夫
いかにも涼しげな様子で、金平糖の店舗ではなく売り場なのだから、催物の即席の売り場だと思いたい。その売り場の誂えに風鈴を吊り下げたのだが思った以上によく通る音がなったのではないだろうか。そのさまを素早くスケッチした力みのなさがある。

著我の花
花筵鳩は宇宙を見通す目  浜松鯊月
もっとも身近な鳥である鳩は宇宙を見通す目であるというこの句、おそらく「鳩の宇宙を見通す目」という意味で取るべきかもしれないが、鳩はとすることで少しスケールが増したように思う。確かに小さく硬そうな鳩の赤い目は慣れ親しんだ人間や哺乳類の目とは異質だ。

全句を通して読んで、東北という共通項でくくられた作者陣ではあるが、わかりやすい東北やみちのくっぽさはほとんどなくて、等身大の詠みぶりの句が多かったように思う。しかし後の対談で神野紗希が自然と人間のボーダーレスが東北の句に感じられるというのだが、その視点から見ると「花林檎みづかがみへと日の手触る 紆夜曲雪」「虹を潜るにふさわしきレンタカー 工藤玲音」のように、人の営みにも自然の営みにも同じスタンスでアクセスしようとしている句が確かにいくつかあり、それぞれに土地の気配がバックグラウンドで走っているように思う。産土(この言葉を使うにはまだ私は理解が足りないが)は当たり障りのない「東北らしさ」に現れるのではなく、作者独自の表現として出現するのだと思う。

次回は対談について、その後、東北出身作家について書けたら書く。そう言って書けたことは稀である。


俳句 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/01(日)23:18

続・綿菓子日記1

山笑ふペットボトルのラベル剥く

去年スピカで連載した綿菓子日記は、私と彼女の出来事を中心に思いつくままに書きちらかしていったのだが、中には掲載を見送ったエピソードもある。あれから一年たって、当時のテキストを引っ張り出して見ていたら、ちょっとだけお蔵入りした話を思い出しながら新しく書き足したくなった。

深夜テンションの恐ろしさはなぜお蔵入りにしたかという肝心なところを忘れさせる。目が醒めて正気を取り戻した!!ちょっと恥ずかし過ぎるので引っ込めます。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/03/23(金)01:53

ほへーほへー

ちょっと備忘録的に、あまり立ち入った話はなしで。
西山ゆりこさん発起人のピクニック句会に行ってきた。
ダンススタジオでごろごろしながらやる、子供連れOK、おもちゃ持ち込みOK、ペンだけもって参加という句会だ。私も子供におもちゃを持たせて、あとは本当に俳句に関連のあるものはペンだけで参加した。好き勝手にフロアを走り回ったりする子供たちの声に負けないようにポータブルのマイクを持ち込んだりと、なるほどなるほど、子連れ句会にも取り入れたいなと思わせる工夫があった。あと子供の年齢層が低いので、久しぶりに1歳児とか8か月さんとかを見ることができた。小さい。
句会の方は、さすがに私が同年代で句会やってみたいと思う人たち大集合だったので、みんな慣れたもので、ゆりこさんの回しも的確で、みんなの選句と評のリレーが面白かった。ほへーほへーと何度もうなった。最後は記念撮影をしてお終い。二回目があればまた行きたい。
悔まれるのが、生駒さんに最初気付かなくて、気付いてからはずっと、「気付かなかった。ほへーほへー天気さんに似てるけど若すぎるし、だれかと思った」みたいな話しかしてなくて、向こうも最終的には「いや、お前ちょっとは俳句の話せえよっ!」って思ったかもしれない。
私は、あれだな、文章の中ではそれなりに面白いとか期待されることはたまにあるんだけど、会えば大抵がっかりさせちゃうのがな、致命的なトークの筋の悪さ。それをな結構気にしてる。がっかり火尖。
でも面白かった。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/03/22(木)02:05

俳壇責任

私は普段ほとんど俳壇を意識せずに俳句をつくったり読んだりしてる。結社に所属し、協会や雑誌の依頼に喜び、話題の俳人の消息に聞き耳を立て、そこで起こるあれこれにいちいち意見を表明したりしている。その上で、「俳壇のことはほとんど意識せずやってます」といってしまうのだ。何を言ってるって感じだよね。これはつまり、空気と同じレベルの当たり前のものとして俳壇を受け入れてしまっているのだと思う。俳壇とは何も主宰や総合誌の常連だけのクラブではない。例えば結社の新年会で有名俳人に挨拶をする、それを他の俳人に話したりしてる時点で、俳壇の一部としての私がいる。私がいる場所もまた俳壇であることには間違いないのだ。少なくとも私はそこで泳ぐことができている。

一方、壇というコミュニティは生理的に排除と抑圧の力学によって、選民的な優越感と連帯感を構成員に与えて生き延びてきた。俳句ももちろん例外ではない。むしろ俳句は他の壇以上にその傾向が強い。それは季語という装置があるからではないだろうか。もちろん有季だけが俳句の全てではないが、有り体に言えば、どれほど季語の神秘性を信じられるか知識があるかを構成員同士で比べあって、お互いに信仰をエスカレートしていく信仰の装置としての機能があり、その分他の壇より排他的な傾向が強いのではないかと思う。また、季語に対するトリビアルな知識、例えば「ビールは夏で枝豆は秋の季語」というような知識を符丁として壇は強固になっていくのではないか。あたかも新興宗教の類が一見信じられないようなくだらないアイテムを信仰の対象とすることで、それにどこまでのめり込んで信じられるかが信者同士の競争となり戻ってこれなくなるのに酷似している。

しかし、実はこの稿では季語を否定したいわけではない。私達の拠って立つ俳壇がこのようなシステムで動いていたとしても、それ自体を大所高所から否定するつもりも今はない。何が言いたいかというと、一つのケーススタディを考えてほしい。

俳壇外にいる俳句の友人が、あるとき俳壇の排他性や閉鎖性に人間性を否定されて「でもお前は結局俳壇を信じてるんやろ?」ってあなたに言ってきたときに、どうするか。
私は、友人の人間性を否定したやつについて知らないし、それが俳壇の問題だとしても、寄りかかってくる問題の重さを受け止められない。結局何日か反芻して、ようやく、そこで私が簡単に離脱できてしまったことが、それこそが壇の問題なのではないかと考えた。排他性の恩恵を受け、褒めあって認めあって、あるいは批判しあうことはできても、いざというときは誰もが個人の問題のみに矮小化し、無関係を装える、そんな朧のような存在の暴力性はどうやって制御できるのだろうか。

追記
実際私に加害の実感があるかといえば、それは全くない。それは実感しろという方が無理というものだ。しかしその上で、想像しなければならない。多分そういうことだと思う。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/03/15(木)20:28

切れについて

実体験の範囲で言わせてもらうと「切れ」に対する理解をかなり狭くして使っている人は多いと思う。炎環もその傾向がある。つまり、「や」で切ったりすると意味上でも絶対に切れているという判断が機械的になされてしまい作句上・鑑賞上の可能性を潰してしまっていることがある。

たまに上五の名詞の切れだけでもそういう処理をする人たちがいるが、それだと句中に切れのある句はみんなニ物衝撃になってしまうのだが、それはいくらなんでもおかしいし、おかしいと気づいてくれよ。切字を使っていても音だけを切っている場合と意味ごと切る場合とそもそも切れていない場合とがある。
例えば、
夕立や殺生石のあたりより 正岡子規
意味で切ると意味が分からない。

蟷螂や二つ向きあふ石の上 正岡子規
これも二つ向き合っているのは蟷螂であり、やを使う一物仕立ての例。

反対に取り合わせとしては、ぱっと思いつくのが有名な句になっちゃうけど
秋風や模様の違ふ皿二つ 原石鼎

人によってはそんな当たり前のこと今さらと思うかもしれないが、初学時代に十二音技法なんかが骨身にしみたまま成長しちゃうと意外とありえるから、ちょっと書いておこうと思った。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/03/12(月)01:29

俳人言えるかな


Hello Kids!
 キミはもう、たっぷり俳人つかまえた?
 俳人151人つかまえたキミも、まだまだのキミも、
 《俳人言えるかな?》に挑戦だ!
 How's your mouth rolling today!

石洲/軽舟/アベカン/ 素十
蛇笏/あらた/椿/春樹
原コウ子/曾根毅
鳳作/矢野玲奈/普羅・曾良/まや・奈々
藤幹子!

綾子/放哉/楸邨/杉風
かな文/兜子/青邨/蕪村/マブソン/槐太/堀葦男/番矢
烏頭子/ドゥーグル/爽雨/テルカズ
鳴戸奈菜!

 ラ・ラ・ラ 言えるかな?
 き・み・は 言えるかな?
 ラ・ラ・ラ 言えるかな?
 俳人の なまえ!

泊雲/静塔/西鶴/憲武
仁喜/兜太/御中虫/湘子/秋桜子
明倫/サトアヤ/青畝/櫂未知子
龍太/ゆう子/曹人/風生
五千石!

基史/皓史/照敏/嵐雪
後藤夜半/羽公/江渡華子/神野紗希
禅寺洞/野口る理
草堂/太穂/鶏二/三鬼
相子智恵!

 ラ・ラ・ラ 言えるかな?
 き・み・は 言えるかな?
 ラ・ラ・ラ 言えるかな?
 俳人の なまえ!

 (M.C.)
 ここからガラッとスタイル変えてみよう!
 One, Two, Three, ah-here we go!

(Yeah!)/山頭火/けん二/原石鼎
不死男/ユースケ/磐井/鬼城
龍之介!
大道寺/和田悟朗/碧梧桐/鬼房
爽波/朱鳥/三日女/敦
宇多喜代子!


木歩/しづの女/麒麟/誓子/行方
遙/まりうす/獄舎/いつき
石寒太!
津田清子/ふけとしこ/草田男/ケルアック
正岡(子規!)/高浜(虚子!)
ホ・ト・ト・ギ・ス!

 (M.C.)
 めっちゃええ感じでんがな!

 ラ・ラ・ラ 言えるかな?
 き・み・は 言えるかな?
 ラ・ラ・ラ 言えるかな?
 俳人の なまえ!

 (M.C.)
 All right,
 つぎは泣きながら歌ってみるってのは、どう?

羊村/花簔/猿丸/澤好摩
金子晋/久留島/あざ蓉子/谷さやん
関悦史/苑子/地橙孫
重信/美秋/窓秋/耕衣
四ツ谷龍

 (M.C.)
 All right, kids.
 It's time to take a break, here.

 (ナレ-ション)
 ふしぎなふしぎな 生きもの
 どうぶつ図鑑には のってない
 俳句を作る人 ちぢめて俳人

 (M.C.)
 ここまで歌えるなんて、たいしたもんだ。
 でも、むずかしいのは、ここからだよ。
 よーし、一気にラストスパートだ!
 One, Two, Three, ah-here we go!

河原/黒岩/上村/鬼貫
友次郎/悌二郎/杏太郎/木枯
冬野虹/鷹女/みどり女/しなだしん
白秋/春休/丈草/我尼吾
大野林火!

若之/芝不器男/十二国/大祐
白泉/波郷/桃子/露結/謙太郎
ポニータ/堀下/裕明/閒石
星眠/白虹/青鞋/藤原
森賀まり!

 ラ・ラ・ラ 言えたかな?
 き・み・は 言えたかな?
 ラ・ラ・ラ 言えたかな?
 ポケモンの なまえ!

 ラ・ラ・ラ 言えたかな?
 き・み・は 言えたかな?
 ラ・ラ・ラ 言えたかな?
 ポケモンの なまえ!

 (M.C.)
 OKIDOKI!
 Now that's the way to say it.
 あれ? ちよっと待って!
 もしかして、もう1匹忘れてない?

-------------------------------
白秋とかかなり微妙なのも入ってるし、音韻的にもっといいのがあるかもしれないから思いついたらアップデートしていくかもしれん。あと名前とりあげられるのが不愉快だったら差し替えます。
気に入ったら↓も


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/02/26(月)00:24

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

Twitter...A

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