留守

3月いっぱい、スピカさんとこの「つくる」で書いてます。

http://spica819.main.jp/top/sp/index.html

よろしければ覗いていってください。

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綿菓子日記 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/03/10(金)21:53

慣性細胞

もちろん私は国家有機体説など支持してはいないけど、例え話として、人と同じように国だっていつか死ぬ。
それは、仕方がないことだし、その際に立ち会えるのは、むしろ、面白がるべきなのかもしれないけど、目の前のそれがあまりに醜悪な死に方で滅入る。

大病を患って、自律神経は乱れ、ボケて、金銭感覚も平衡感覚も理性も知性も自制も失って、暴力性と幼児性が増して、それにも関わらず、自身ではそのことに全く気付けない。諫める者も心配する者も恫喝して追い返す。莫大な借金は自身に掛けた保険金で返すつもりだろうか。
国家がこの状態でも平気な人間は、自身を大いなるものに帰属させて安心するタイプの人間だろう。つまり自身を国家の細胞の一つと目しているわけだから、客観的な視座は皆無である。当然、国の異変に気付くわけがないし、暴力性にも幼児性にも無自覚になるのは仕方がないだろう。国家への批難を直接自身への攻撃と捉えているのだ。それはほぼ反射に近い。つまり慣性の中にいるとはそういうことである。

一方、「個人」としての自覚のある者なら、死にかけのボケ国家が、老後資金を崩して外国に貢いだり、国のOSやレジストリを中世バージョン並みにデグレしようとするのを、(傍観するしないはともかく)好ましいと思う者は少ないだろう。癌にかかっていることが分かれば摘出手術を勧めるだろう。しかし、もはやそれを聞き入れられるような状態ではないようである。

自身と国家を同一視する人間たちはその構造上自省することが不可能なので、仮に壊滅的な結果になったとしても、まさか自分たちがその所業を引き起こした主体であったとは、理解することができず、同じ過ちを繰り返し続けることは、今まさに証明されつつある。
そういう生き方は、幸せかもしれないが、私個人は個人の尊厳にかけて絶対にお断りである。

Twitterに共有するには少し強く言い過ぎたかもしれないので控えるが、どんなに優しく言おうと伝わらないものは絶対に伝わらないので、強いも弱いももはや関係なく、言いたいことを言いたいように言ったっていいだろう。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/02/18(土)01:57

ゾンビ

日本の生活について、気づけば僅かな知り合いを残してみんなゾンビになってしまって、話通じないし、多勢に無勢過ぎて隠れて息をひそめるか、噛まれてゾンビになるくらいしか選択肢のない毎日を、普通に仕事しながら生活してるといえば伝わる?


雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/02/09(木)17:17

タバコのflavorがした

私にとってはとても重要なテーマなのできちんと考えを残すことにします。

俳人の政治的な発言について、twitter上で下記の内容のツイートがありました。


俳人は政治的な発言をして欲しくない

政治的なスタンスを持ってほしくない


そもそも他人がどんな考えを持とうと、一向に構わないのです。仮にそれを外に表明したって「私という俳人は政治的な発言をしない」「私は政治的なスタンスを持ちたくない」ならば、イイネを押して承知しましたと思っておしまいです。あれこれ文句をつけるつもりなど本当にないのです。

ただ、今回は「俳人は」となっているので、そこには火尖も含まれているのです。そして、私は一応俳人ですけど、政治に対して俳号のまま発言するし、俳人としての政治的なスタンスを持っています。つまり、政治的なものに対する沈黙を願うこのツイート(思想)が生まれた理由、あるいは当事者の一人といえます。だって、誰も政治的な発言をしなければ、そんな願いも生まれなかったでしょうし。というわけで、このツイートに対して自分の考えを述べる理由が私にはあります。ここまでは一応問題ないはずです。その発言を尊重することと何ら矛盾しません。それに、いつかは書かなければならないことだったと思います。


話を続けます。基本的には人は人を理解することは(できません、と言いたいですが、それはそれで証明したことがないので)簡単ではありません。人のことは最終的には想像するしかないわけです。そこで俳人が政治的な発言をしない方がいい理由を自分なりに考えました。かなり自分的には納得の行く理由で、おそらく少なくない方が俳人は政治的な発言をしない方がいいかもしれないなと思うかもしれません。それはそれで構いません。


もはやあらゆる意味で説明不要の料理漫画「美味しんぼ」にて、ある料理人が海原雄山の美食倶楽部の昇格試験を受ける回があります。その料理人は腕は確かなのですが小心者で、試験中に心を落ち着かせるために煙草を吸ってしまい、課題の料理に臭いが移って雄山を激怒させてしまいます。

おそらく、一連のツイートが指す政治的発言とは、美味しんぼにおける煙草のようなものではないでしょうか。「俳句が不味くなるわっ!!」というわけです。美しい日本料理に煙草の臭いがつくなんて興醒めもいいとこですよね。「俳句とは切り離して考えてよ、手はちゃんと洗ってるもん!」とこちらが言ったところで、雄山からしたら「政治臭い口で俳句を語るな!出ていけ~!!」といったところでしょうか。私も煙草は嫌いなのでよくわかります。

確かに、良い俳句を作る俳人のツイートなりブログなりが、俳句とは全くかけ離れた「アベ政治を許さない」とか「憲法を守ろう」「共謀罪は危険」とかだらけなら、その発言の是非はともかく、単純に冷めるのも無理はないかもしれません。

つまりこの考えに立てば、俳人は余計な夾雑物を持ち込まず俳句に集中するのが良いということですね。これは他のジャンルにも当てはまりそうです。音楽家や俳優、芸術家、舞踏家も同じロジックで政治的な発言を控えるのが良いでしょう。実際フジロックに対する「音楽に政治を持ち込むな」というパワーワードは記憶に新しいかと思いますし、椎名林檎が国の仕事を引き受けたときにも、同じような批判がおきましたっけ。


しかし、本当にそれでいいの?もし、今いる国内外のそういったアーティストたち全員が政治的な発言をしなくなってしまったらどうでしょうか?世の中には今以上に素晴らしい作品が溢れ人々は余計なバイアスを受けることなくそれらを享受できる?本当に?私は正直言って違和感があると思います。仮にそうだとしても、自身の表現活動のほかは、ランチの写真をアップすることぐらいしか話すことのない表現者しかいなくなるなんて、私は嫌ですけどね。


政治だろうと食べ物だろうと、自身の生き方に深く根ざした考えの表明を避けて、ファブリーズをかけるようなことが良いことだとは思いたくないし、だからこそ「他者の政治的発言を望まない」という政治的発言も、誰に遠慮することなく言えばいいと思ってます。

私は、分かり合うことよりむしろ、確かめながら平行線を維持しつづける営みにとても価値を感じている。



超余談

まぁ、正直なところ、平行線だろうと島宇宙社会を越えようとする工夫のある発言でなければ意味がないと思ってるし、ただ、そんなの気にしてる人多いとは言えなくて、いつも申し訳ないなという気持ちはある。彼等は彼等が糾弾している人にこそしっかり聞いてもらわなければならないはずなのに、内輪でぐるぐる回るようなことしかできていない。そんなことで、本当に憎悪と嘲笑の拡散力に対抗できるとでも思っているのだろうか。私は匂うようなユーモアが欲しいよ。




俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/02/03(金)07:04

矜持

私の矜持は常に私にのみ向けられていて、私のみを規定する。

そして、誰にも触れさせない。


立ち位置 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/01/25(水)23:21

小さな幸せ

日常の小さな幸せが大切なものであることは否定しないが、「小さな幸せを守れればいい」とか「それこそが大切」とか臆面もなく言い放ち、ささやかな幸福を価値の上位に据えて、現実の諸問題を無視する人間ははっきり言って苦手だ。

そもそも、生きているのだから、ある一瞬は楽しかったり、幸せを感じたりすることは当然ではないだろうか。貧困の中だろうと、北朝鮮などの自由のない国や戦中(それこそ世界の片隅的な)であったとしても、人は笑うことができるだろうし、それは言うなれば、生きるための発汗や鳥肌と同じような身体精神作用である。どんな場所でも生きていかなければならない人間の苦肉の策だ。

それをことさら取り上げて、そこで生きる人々は美しかった、見習わなきゃいけないだとか言い出す人がいたら多分、屠殺前の牛や豚になっても上手くやっていけるタイプなんじゃないだろうか。それが言い過ぎだというなら、漫画などでヤンキーがちょっと優しさを見せれば他のすべての悪事が目に入らなくなるタイプとでも言おうか。

もしそういった人々が社会から幸福が干上がって消えていく中だろうと抗わず最後まで「小さな幸せ」にしがみつくなら、人類の歴史や過ちから学ぶことなどできはしないだろうなと思った。

まったくつくづく嫌な朝しか来ない。


雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/01/25(水)08:41

里1月号を読む3(囚われ者)

そういえば、なぜ私が里を持っているか振れ幅ではまだ触れてなかったですね。


里1月号に天宮風牙さんが火尖小論「囚われ者」を書いてくれて、火尖も旧作15句「偏り」、新作十句「隔たり」を出しているのです。それで手元に里があるのです。そこで自句自解ならぬ、自分自解、たんなる自分語りですが、少し書いてみましょうか。


以前、外山一機さんが書いてくれた小論にあった「西川の句の、良かれ悪しかれ俳句形式に依拠した自らの表現行為の倫理を疑うことのないようなふてぶてしい趣」(敗色のなかに詠う―西川火尖小論―

この一文を読んで、ああそうか、なるほどなぁと思った。これまで何度も触れたが、私は俳句の初学時代、とにかく独学だったので、人の句の型に自分のイメージを流すような練習ばかりしていた。ようは替え歌だ。その上、藤田湘子の20週俳句入門と俳句実作入門をかなりシビアに実践するなど、まぁとにかくこれでもかこれでもかというくらい俳句形式の型にはまることを上達の近道としたのだった。そこに根差した形式への依拠は私の特徴の一つだと思う。実際、風牙さんも「型にはまりながらも型から逸脱しているところ」(「囚われ者」里2017年1月号)と、火尖の俳句の型についての言及がある。そして、型にはまった上で、そこから逸脱しているところが「非凡な魅力」だと言うのだ。もし、そうならとてもうれしいが、いったい私はどうしてこうなってしまったのだろうか。ひとつ心当たりがあるとすれば、というか、そこに答えを求めるしかないのだが、やはり私のこれまでの生き方が影響しているのだと思う。


一番肉体が健康的だったときの仕事は面と向かって人から「底辺」と呼ばれる仕事だった。

周りはリーマンショックのあおりを食らって流れ着いた人が多くて、同期には話の通じる人が多かったが、なるほど、古参の中にははっきり言ってひどい人間もいた。こう言っては申し訳ないが、粗野で野蛮で自堕落な人間たちだ。しかしそれより我々に対する雇い主の扱いの方がひどく、いつしか「早く人間になりたい」が口癖になっていた。そういう職場で三年余り過ごした。ともかく、働かなければ食えないし、卑屈になる以外に耐える方法はなかった。職業で人を侮蔑するというのがどういうことかわかった。せっかく東京に出たのに、ほとんど句会に顔を出さなくなった。適当にごまかして仕事を言うのは辛いし嘘がバレるのは怖かった。世間の目で自分を見ていた。なぜこうなったか。

もともと実家は決して裕福ではないが、私と二人の妹を私大にやれるだけの余裕のある家庭だった(今からすると裕福以外の何ものでもない)。決して学校の科目に拘るような家庭ではなく、教養と思考を何より大切にする家庭だった。実際、妹二人は彼女たちの努力もあろうが、夏期講習程度の塾通いで難関大に入学したのは、思考が鍛えられていた結果といえるだろう。そして一族の多くが生業としている仕事に就いた。私自身、センター試験の一月前に受験勉強を始めて滑り込みで大学に入学できたのは、家庭教育のおかげだとは思う。しかし楽な方へ楽な方へ流れてしまう性格では継続して努力することができなかった。これが致命的で、肝心な時に頑張れない。それでまぁ、前述の「底辺と人から言われる仕事」まで一直線だったというわけだ。一つだけ良かったことは、厳しい環境で思考して初めて広がる類の視野を手に入れたことだろうか。多分、型から逸脱するという部分と、風牙さんの評論中で書かれた「冷静に己の境涯を見つめる」という部分は私の中でイコールで結びついている。


ついでに言うと、これは少し恥ずかしくてあまり公言したくないのだけど、400字エッセイを読めば分かると思うが、全然大したことないことにいちいち大げさにリアクションして、いちいち傷ついてしまうというのが、感受性というか弱さで、もう、モロ俳句に出てしまっていると思う。


そして現在、転職、非正規、正規雇用を経て、そこそこ平穏な生活をしているが、「底辺」で思い知らされた人間のことは、私が私を詠む限り、これからも意味合いを変えながら常に私の中にある。そういう意味でまさしく私は「囚われ者」である。


向日葵に人間のこと全部話す  西川火尖


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/01/20(金)00:43

里1月号を読む2(いい俳句を読むと焦る)

殴られた方が謝るおでん酒     喪字男

木枯を紙の箱へと仕舞ひけり    喪字男

全員は入りきらない炬燵かな    喪字男


Twitterを始めて知った作者。里だったとは。ここで上げた句の他に「少年のいつも傷つく冬の森」なども出てきて、いや、詠みの振れ幅が大きいとか言いたいんじゃないねん、むしろ一貫してナイーブ。


水仙花右の乳房に右の修羅     渡辺 多佳子

手套は手のかたち手套は手のかたち 野名 紅里

肩までの手袋蓮根掘りに掘る    島田 牙城


右と限定することで、フォーカスを当てたり、リフレインが手のかたちを確かめる動作に呼応していたりとか、畳み掛けのイメージとか、言葉と身体性のつながりが強い。


いやいやをするのでさざんくわがちるよ  水口 佳子

毛糸編む森の暗さの磨硝子        水口 佳子

枯蓮の水から下も枯れている       男波 弘志

放哉が済ませたる死とならぶ鳥      男波 弘志

朝礼の最後に風邪の人が来る       脇坂 拓海


すごいいい。律しながらも自由な俳句。


考えている雪よりも遠い場所    月野 ぽぽな

この重き蒲団隣に母が来る     小林 苑を


作者それぞれの違いがあって、それぞれ自分の作り方を信じるような感じ。

それぞれの俳句を志向するような句が多かった。自分で自分の面倒を見るような、律しながらも自由というか。名の通った若手が多いのも、佐藤文香の影響もあるかもしれないが、それも含めて雑誌の土壌がいいのだろうと思った。


今回取り上げなかったのは、コメントが思いつかなかったからというものもあった。そういうのが、次の俳句だったりするのでよく覚えておこうと思った。


これは、俺も頑張らないと。



俳句の振れ幅 | コメント(2) | トラックバック(0)2017/01/19(木)22:20

里1月号を読む1(俳句読みながら思ったこと言う)

シンプルに好きなことを好きなように書けばいいのだ。


里2017年1月号をいただいた。

さっそく面白かった句や文章をちょっとずつ挙げながら好き勝手書いていこうと思う。


憎みあふ神の御子らが野に遊び  正木 美和

寒菊や現るるとき人は顔     田中 惣一郎

鱈ちりや誰も彼もてんでばらばら 瀬戸 正洋


まず、「野に遊び」「人は顔」「てんでばらばら」最後には作者の好きな方向へ行くような句が多かった。みんなてんでばらばらで面白い。


てつぺんの黄に白菜とわかりけり 天宮 風牙

くらがりを映す水なし龍の玉   堀下 翔

山茶花を嫌と言ふのでそうかとも 樽本 いさお


作者が違っても似たような句が続くことなく、個がしっかりあると思った。上の三句もそれぞれの世界を屹立させてる。


朝刊に重さがありて十二月    塩川 佑子

極月や画鋲の上にセロテープ   内堀 うさ子


ふと気付く感覚や目に留まるものを、「発見!発見!」と騒ぐのではなく、すっと立ち上がるように俳句にする。大声を立てない。


番地からおよそあの辺冬銀河   仲 寒蟬

薬喰寝癖の髪が鬼のやう     仲 寒蟬


「あの辺」で意味が切れるのか切れないのか、私はこれを漏れてるとでも呼びたい。そしてこの句の場合はそれがとても良く働いていると思う。


湯豆腐やすこし直され箸づかひ  美月

寒紅のをんなの肩をひとつかみ  谷口 智行

脚立冷たし五段目に傘引つ提げて 小鳥遊 栄樹

着膨れと着膨れ占いの館     木野 俊子


映像や温度をありありと想像できる。それぞれのワンシーンの構図に作者の神経が行き届いている。


藍色の直垂衾越しに抱く     中山 奈々

冬晴や花のかたちの砂糖菓子   ローストビーフ


夜具の分厚さと湿気、直垂衾では抱きしめてももどかしい

一方、冬晴のこの明るさと措辞の形の美しさ。

実は炎環と比較しながら読んだ。炎環ではあまりこれらの感想が当てはまるものは少ない気がした。

それぞれに良し悪しはあるのかもしれないが、実感として気になった。




俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/01/17(火)02:11

かぞ句会で山口優夢に会った

さっきの記事、あれな、あの行儀の良さは、葉月さんの週俳の子連れの記事で結構知られたかもしれんくて、びびっちゃって、後半をまるまるカットしたんだ。

後半はほとんど自分のことだけのいつも通りのやつだ!


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そして、子連れ句会の話とは少しずれますが、かぞ句会で山口優夢、江渡華子両氏に初めて会いましたよ!ていうか優夢さん「振れ幅」読んでたし。ぺこにゃんのこと知ってたし。私はこれまで同世代の俳人とは極端に交流が少なくて、どれくらい交流がないかというと中山奈々と同じ大学なのに在学中ほとんど話さなかったくらい人付き合いのない人間でしたし、当時同志社にいた久留島元が同世代だと知ったのも東京に下ってからでしたし、そんな私が他の若手のことをどう見てたか、当時、人から底辺と呼ばれる仕事をしてて、羨望と嫉妬と、仲良くしてみたいけど、何かライバル、いや、ライバルはちょっと活躍中の相手に悪いし、ていうか自分なんか相手にされへんやろなぁ、敵、ああ、もう敵でいいわ、全員敵視、どうせ会うような機会もないし!敵愾心でがんばる。作品とか散文はめっちゃ一方的に読むからお前らのことめっちゃ詳しいからな!特に山口優夢は一緒に週俳の作品デビュー(だったはず)やし、毎週どこかで何かしら書いてたし、火星の研究者やし、新聞社やし、どっちやねん残像かよ。とまぁ、こんな有様でして、ひどいな真実って。

 

今は私は私のやることがあるので、人と比べてどうというのは、ポーズとしてとって見せることはあるけど、結構収まってきて、ようやく「賞をきっかけに始めた俳句」が抜けつつあるのかなというところなんですが、ともかく、まぁそんな折ですよ。彼に会えたのは。ラインを交換したんですが、人付き合いがあまりうまくないのは相変わらずなので何を送っていいかわからない。でも四回目の子連れ句会のお知らせは送ろうと思います。


優夢さんは、まぁ、想像通りの人当たりの良さでしたよ。知ってたねんな、そういう人だろうというのは。


何より、火尖は書いてこれなので、話せば底が浅すぎてすぐに会話が詰まるので、それを取り繕うことばかり考えて基本誰にも会いたくないのですが、去年あたりからできるだけいろんな人とあって、吸収して面白人間になれたらいいなと思ってるのでみんな我慢して手伝ってください。

かぞ句会、無点やったねんな。それも含めていい句会でした。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/01/14(土)19:28

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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