祝祭

凱さんの記事を以て今回の件は速やかに収束したように思う。それはとても良かったと思う。

当事者自身の準備、タイミングを奪うことに思い至らなかったかと言えば、正直その点は思わなかったわけではない。今更白々しいことを言えば心苦しさはずっとある。ただし、ほとんど主宰と言っていい立場の者が、金銭を絡めて非対称な選択を迫ること、その是非については、部外者だからこそ、構造の問題として触れることに意味があったと思う。その考えは今も変わらない。これは、結社誌、同人誌の別なく、それこそ俳句に限った話ではなく「こんなこと言い出すくらいなら初めから肩代わりなどするべきではないし、肩代わりするなら返金を求めるべきではない」からだ。「無季を容認せよ」とか「群青のイメージ」がどうとかそういう話じゃない。そもそも俳句の話ですらないのだ。
その点、凱さんの記事は当事者しか書けない、個人対個人の関係の決着というものだった。無責任にもわれわれが待ち望んでいたものだった。そこで当事者としての選択を彼はしたし、そのことを多くの人が確認した。多くの人がその記事で納得し、彼の選択を支持したと思う。私も彼の選択を支持した。
この問題を個人間の問題、子と「育ての親」の関係の問題として捉えるなら、問題に触れる権利は再び群青メンバーの手中に戻ったと言うべきだろう。そこでは今回私のしたことは余計なこと以外の何ものでもない。個人間の問題には干渉するべきではないのだ。今回の速やかな沈静化の背景には、「構造の問題」から「個人間の問題」への転換によるところは大きいと思う。もちろん当事者にとっては個人の問題に他ならないのだから、その点については彼の記事に何も反論はない。素晴らしいものだったと思う。しかし、部外者であるところの我々は、望んでいたとはいえ、あまりにも簡単に納得し、祝祭的に感動してしまったのではないだろうか。
この件で精算されたのは当事者としての問題であり、もともと「櫂未知子発言」の是非については、彼の決断で構造上の問題が解決するという類のものではないのだ。しかし私達はその点については目をつぶってしまったのではないだろうか。

それでも今回は立ち入りすぎたという感触は消えない。しかし、この記事のように部外者にとっては俳壇に横たわる問題として捉える人が出てきたことは書いた意味はあったと思う。

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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/02/15(木)08:40

環境問題

前回の件について、原典にあたってから議論をしよう、印象論で話を進めるなという声をいくつか聞いた。また購入方法をツイートしてくれた人もいたので私も早速購入した。群青購入先

ソースに当ることの重要性は言うまでもない。しかし例えば前回の記事が該当箇所の発言内容を捻じ曲げて伝えているかと言えば、そこは注意して書いたので、おそらくそんなことはないと思いたい。もちろん、群青を読んで語るべきだというのは正論だが、読まなければ語れないかと言えば、今回の該当部分に限ってはそこまでではないのではないかと思う。つまり、「無季をやるなら俳人協会を辞めよ、その際はいままで肩代わりした入会金、年会費を全て返納せよ」という事実の部分についての是非は、正直印象論云々の入り込む隙間はあまりないと思う。

ただし、発言する以上は、その当不当に関わらず人を傷つけることがあるし、内容が内容だけに、私のブログだけを見て批判するのは、フェアではないと思う。もし、私のブログだけを見て、何か発言するのなら、その内容や行為がフェアかどうかについては一考を要するし、それを担保しようというのなら、やはり一番確実なのは群青を買って読んで考えることだ。その点については、言うまでもないと言っといてあれだが、ソースに当ることほど重要なことはない。あとは話を協会にまで広げ俳句の世界に横たわる課題としてとらえるのも前向きな効果を生む可能性があると思う。俳句をとりまく「環境」の問題として少しは意味のあることだと思う。

一応、今回の件をとりあげる前に、ウェブ検索とTwitterで群青2月号について検索をかけた。すでにこの件について私より先に取り上げている人がいれば、私が言うことではないと思ったからだ。しかしいなかった。
誰も言わない中で、群青二月号の作品評を読んでしまった以上、その発言に触れるべきだったと今でも思っているけど、この話が解決しないまま話題に上り続ける、消費され続けるというのは望んでいない。この件をいくら煮詰めたとしても、私たちが本当に好きなはずの「俳句」の話にはならない、そのことは、今回の件を切り出した以上、きちんと明言すべきだと思う。一日遅れたけど。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/02/11(日)23:48

見返り

予定を変更して、群青の話題ばかりになってしまうが、群青2月号について。
これは本をもらったのではなく、友達(群青ではない)に少しだけ読ませてもらったのだが、櫂未知子の発言についてすごく残念に思った箇所があるので、書くことにする。

雑誌や俳句の業界団体それぞれに主義主張があるのだから、そのやり方が気に食わなければ出て行ってくれというところまでは分かる。だから群青2月号の作品評の冒頭で櫂未知子が「どうしても無季の作品を出したいというなら、俳人協会を退会されたい」と書いていてもそこまでなら、うへーとは思うけど、他所様の組織事情に首を突っ込む気などさらさらなかったのだ。しかし、「ただし、その場合は、(俳人協会の)入会金や年会費を全て返却して頂きたい」と続く文を読んでしまって、無視することのできない気持ちになったのである。群青は俳人協会の年会費などを肩代わりしてくれていたのだが、無季を読むならこれまでかかった費用を耳を揃えて返せというのだ。まじかよ。やばい。
そして、指導者の立場でこういうやり口を悪びれもせず最後に「わかってほしいのよね」と軽くまとめていることに、はっきりと残念な気持ちになってしまった。例えこれまで「学生・院生の費用を「群青」が負担してきたからだ」としても、こういう請求の仕方は殆ど脅しではないか。「よき句」を求めて無季に立ち入った会員に対して、これまでの費用の返金を求める態度というのは、余りにも文芸、芸術離れしており、はっきりと嫌がらせの域の対応だと思う。仮に事前に会則などに返金の旨書かれていたとしても、人の気持ちは当然変わるものだし、有季での経験が無季への興味につながることもあり得るし、そこから有季を見つめ直すくらい俳句は深いものだ。それを金をちらつかせて縛るやり方にどれほどの意義があるのか。そんなこと言い出すくらいなら初めから肩代わりなどするべきではないし、肩代わりするなら返金を求めるべきではない。
なにより、俳人協会賞も受賞し、現在もこれからも有季俳句を担うと目されている櫂未知子の、無季俳句作者への呼びかけが、有季の優れた句や優位性や素晴らしさを説くのではなく、議論するのでもなく、「無季をやるなら金返せ」では、あまりにも有季俳句が可哀想だと思うし、有季の良さを信じられてないのではないかとすら思う。
見返りが得られななかった場合、違約金を課すというのが果たして詩に関わる者のとるべき態度なのか、櫂未知子がいくら実績があって、指導力に長けていても、この基本中の基本の部分でそういうやり方をとるならば、その点に関してははっきりと間違っていると言わなければならい。言う。下町ボブスレーかよって言う。

正しい、間違ってるの判断は大変で、それを言うことで、立場と責任が生まれる。判断を避けて収められるなら私だってそうしたい。それでもこの件に関しては、櫂未知子の発言は間違ってると言うことを避けるべきではないし、有季定型句を作る私はとても残念に思う。

群青は作品評論ともに優れた若手が切磋琢磨する場だと思っていた。この件で去らざるを得なくなったひとのことをとても心配している。

テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
立ち位置 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/02/10(土)21:51

結社

昨日取り上げた萌にせよ、うちもそうだけど、結社、結社的同人誌は結局主宰、指導者の影響がすごく大きい。それは、そういうものだからといえばそうだけど、仮に個々の事例を見ていったときにそこに批判すべき点があった場合、結社自身、いやぼかすのはよくないな、結社の構成員にそこを批判するような行動をとる者はあまりにも少ない。

例えば炎環の新年会で、サプライズ的に主宰に感謝し讃える時間が設けられたのも、主宰には確かに感謝してるし、30周年だから讃えられるべきものなのだけどそこに何か歯切れの悪い私自身が存在したのも事実だ。

こないだ群青12月号を取り上げたばかりだが、最近群青2月号の一部を読んでしまって、そして、詳しい関連はわからないが、青本姉妹の群青脱会を目にしてしまったら、たとえ歯切れが悪かろうとも、予定を変更して、次回はそのことについて少し触れる。私は部外者だけど同じように結社組織内の人間だし、有季定型の立場としてもいいたいことはある。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/02/10(土)10:22

星の白地図

若手俳人をとりあげた企画には、好企画と呼べるものが多いと思う。

主に高齢者が主要な層である俳句という文芸にあって、しかし若手企画は子規以降の俳句を見回しても人気コンテンツでありつづけた。四Sについても虚子の計らいによる若手スターのプロモーションともいえるし、新興俳句運動も若者という要素抜きに語ることはできないだろう。戦後の高柳重信による五十句競作はストレートに若手発掘のための企画だったし、今ならば俳句甲子園を外すわけには行かない。何より、子規の俳句革新運動自体が子規という稀代の若手俳人によるものなのだ。このように、俳句と若者は密接に関わりながら前に進もうとしてきたわけだ。

翻って現在、総合誌で頻繁に行われる若手特集や若手向けの賞などで分かる通り、相変わらず若手は俳句の世界で重宝され続けている。一つだけ気がかりなのは、若手がスポットライトを浴びる機会の増加に伴って、より消費的、あるいは囲い込み的な側面が強くなってきたのではないだろうかということだ。これ自体は非常に議論を交わす意義のあるテーマであるが、少し話が横道にそれてしまった。今日の本題はそれではない。数多くある若手向けの企画において、やはり好企画と呼べるものは、若者自身が制作に携わり、多くの若者がそれを読みたい、叶うなら出てみたいと思えるものだろう。そういう視点で見たときに一つ、期待を抱く連載がこのほど始まった。俳句結社「萌」の若林哲哉による「星の白地図~若手俳人探訪~」である。
今回、ありがたいことに若林哲哉を通じて萌編集部より萌誌をご恵投いただき、今、手元にある。「星の白地図」は第2回、とりあげられる俳人は安里琉太である。つい先日当ブログでも作品をとりあげ、うまく解説できずに「嫉妬」とひとことのみ書いてしまったのだが、とにかく注目の若手というのは数えればかなりの数に上るが、安里琉太はまじでお勧めである。

肝心の内容であるが、安里自身による俳句との出会い、自選10句、取材をもとにした若林哲哉の小論という構成になっている、人選は取り上げられた俳人が次の俳人を指名するというものだ。星の白地図の名の通り、回が進むごとに俳人自身のつながりが明らかになっていくというのも楽しみなところだ、うん、青臭くありつつも要衝を押さえた優れたタイトルだと思う。

安里琉太自選句より
あはうみも波のたかぶる鏡割
春暁や何の忌となく雨が降り
ふじつぼもほろほろ鳴いて秋高し

そして、若林哲哉による小論は非常に字数が限られている中で意欲的だ。作者の俳句に対する姿勢を聞きだし、それを若林の眼を通して、作品鑑賞にてらして真面目に紐解いていく。次の俳人が気になるし、これを読んでいつか出てみたいと思ってしまった人も多いのではないだろうか。私もその一人である。ちょっと自選句が「子の問に何度も虹と答へけり」ばかりで食傷気味やから他のいい自選句ストックができたころに話しがあればめっちゃでたいなとか妄想してしまった。あとはまだ俳句総合誌が触手を伸ばしていない若手もとりあげられるのかなぁとか考えると面白い。

次回は、萌の注目句にも触れていきたいと思う。萌自身は正直に言うと若林哲哉と出会うまではノーマークの結社だったが、彼の奮闘ぶりと連載は要注目である。ちょっと好意的に書きすぎたかもしれないが、安里琉太の俳句を始めたきっかけが面白くて、これ安里さんの鉄板ネタなのかな。有名な話なのかな。面白かった。


※訂正!第一回は仮屋賢一さんでした!!!大変申し訳なかったです。お詫びして訂正します。そして、現時点(2018/02/10 11:12)その部分はちょっと削除。仮屋賢一さんもすごい句を作る。もうすごい人だらけ。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/02/10(土)03:02

昼休みの読書

引き続き群青12月号から

カッターを繰りだす音や天高し  泉山友郁
カチカチカチというあの音、天高しに吸い込まれそうな感じ、悪くない。

葛まるでマスターフゴの息遣ひ  大塚凱
ボビナムもマスターフゴもこの句で初めて知った。この句は葛のわらわらした感じが至近距離での息遣ひを思わせるところがあって、動の前の静を感じる。ボビナム、よくわからんけど。

http://vovinam.jp/about

今年米湯気を押出す湯気が湧く  小野あらた
肉刺しに刺さらぬコーン秋惜しむ  
今度週俳で少し触れるけど、執拗に有季俳句の快の部分を刺激しつづける句だよ。

蕎麦を食ふ人と見まがふ案山子かな  北和田操
ちょっと笑ってしまった。どんなんやねん。それなのに何か案山子らしさを感じる。

テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/02/08(木)12:05

群青12月号

色々なところで本を買ったり貰ったりする。

今までは中々読みきれないから書けないなと思ってたんだけど、これからは、書くということを主眼に置きたいと思っている。

書きながら読むし、書きながら調べる。書くことを読むことより一歩先において読んでいきたい。あまり自然な方法ではないが、今はそれでいいと思う。せっかく頂いた句集や本に何も言わないのではもったいなさすぎるし、書くという目的があったほうが吸収率が上がると思う。


ではさっそく
群青2017年12月号より

鶏頭のまがまがしきに出遭ひけり   櫂未知子
鶏頭の少なからず異様な姿をそのままに、突然、偶然、といった要素を加えることで強化され屹立してくる鶏頭のイメージ

さまざまな道具に埋もれ綿を繰る   佐藤郁良
さまざまな道具が目に入るが、それぞれの名前はわかっているわけではない。これは吟行者と対象の距離感である。そして、その距離感でしか掴めない臨場感をこの句は十分にまとっている。

幹までは濡らさぬ雨か銀木犀   三村凌霄
弱い雨、立ち込める銀木犀の匂い。「雨か」の問いかけが小雨の穏やかな雰囲気に包まれる気分にさせる。

七分袖素早い景色だが残る   宮﨑莉々香
素早い景色といわれて像を結ぶ類の句ではない。しかし景色全体が軌跡化というか残像化するというか、画面の焼付きのようなものになって心に残る。七分袖の動きが素早い景色化するのか、あるいはいかにも中途半端な立ち位置の七分袖という存在が、素早さについていくこともとどまり続けることもできない様子を対比として捉えるか、悩むところである。

コスモスはラケットを押し返さざる   宮田雪大
コスモスの茎の細さ、折れるでもなく刺さるでもなく押し返さないというコスモスの姿態に草花としてのコスモスの強い存在を感じる。ラケットの重すぎない感じも好印象。

木守柿ときに華やぐ物忘れ   山下和子
木守柿は少し象徴的すぎやしないかと思うが、ときに華やぐ物忘れは魅力的な措辞だと思う。

零番線探して秋の中にゐる   山本卓登
零番線がなぜあるかについては、一番線、二番線と並ぶなかで、線路を追加する際、一番線の手前に零番線を作ることで他の番線の呼称を変更しなくても良いなどのメリットがあるようだ。
零番線という不思議な呼称であるにもかかわらずしっかり現実としての役割を果たしているのは面白く、それを探すということが現実、ファンタジーの二重構造的な構成に見える。

新蕎麦や腹に座卓を深く挿し   渡邊有晴
座卓の方を体に近づけて、新蕎麦をすする。ちょっとしたものぐさな所作が独り居の気楽さを表していて気持ちがいい。

紙燃せば支那の匂ひや冬支度   青木ともじ
良い句だと思う。

あをざめた港が夕霧に残る   青本瑞季
港に対して青ざめるというのは結構珍しいのではないか。好き。しかしどの句にも霧が読み込まれていて、多分今回の青本瑞季のテーマなんだろうけど、この句は措辞が珍しいだけに却って「霧に残る」の常套性が少し気になった。


服のまま眠ると鳶の厚みになる   青本柚紀
たまにスーツのまま寝てしまう。イメージの展開が面白い。鳶かぁ鳶もってきたかあ。梟や鳩ではなく、そこが好き。

囮ありかの風蝕のきりぎしに   安里琉太
かりがねや深山の冷えの鑿鉋
猩々は火をひとみの秋として匿す   
嫉妬。

ひとまず一旦ここまで。
おやすみなさい。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/02/07(水)01:21

12月中に書かなければならなかった

俳句について何か話すことを最近すごく難しく感じていて、例えば、自分が初学時代に読んだ本の多くが俳句の眼目について平易な言葉で語っていて、そのおかげで自分もそういった本の真似は辛うじてできるようになったんだけど、わかりやすく話そうとすればするほど、地球を平面の地図で説明するような無理を感じてしまう。

もちろん、何を今さらという類の話だし、そういった難しさを乗り越えたような優れた鑑賞や評論が実際に存在する以上、結局、私の力不足の一言で済ます他ない話なのだ。しかし、困ったことに、今までできていた、俳句を言葉で薄めて引き延ばしたような解説を書くことに今は興味がわかず、かといって「地球儀」的な鑑賞をするだけの力はない。

題からも分かる通り、予定の期限を遅れに遅れている。時間に遅れるというのは能力だけでなくやる気も誠意も情熱も何もかもないというわけなのだが、では辞めてしまえと言われると、それだけはちょっと勘弁してくださいって思ってしまう。非常に格好のつかないことだ。


この文章は、その12月中に書かなければならないことの前書きにもってきたのだが、さすがに冷静になってやめた。

もちろん昨年締め切りのあるご依頼は泣く泣く断念する旨のツイートをしていたので、このお話しも一応延長可というものではある、だからといって今2月ってそれはいくら何でも駄目だと思う。


ただ、嘆いていても地球儀的なものが書けるわけではなく、とにかく今は納得できないものしか書けなくても書き癖をつけていくことの方がよっぽど書きたいものににじり寄れる。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/02/03(土)17:26

俳句は開発中のものです

練り練り
脳を動かす。
俳句を始めてしばらくは句会に行ってなかったし
学生だったから、一日中ずっとこうやって作っていた。
こうやって作るのが一番好きかはわからないが、
これしか知らなかったから、何か躓いたときには
これをやるのがいいと思ったし、これからはこうやって作ろうと思う


夏蝶の
百合のはなびら甲板の水溜り
半夏生塗り絵のやうな眠気かな
百合を嗅ぐ
万歳のソフビ人形
ざらつく 揺らす 蜂蜜 紙 紙溶けていく 
火を貰ふ 重なつて 
蟻地獄 歯を舐める
肉の余りしシャツの皺
蟹のやうなる 
一番好きな
作り方
皿洗ふ
呼吸を禁じ
鉛筆を握れば 熱帯夜
鉛筆の匂ふまで
波のやうなる 
鉛筆に 遠花火
イヤホン 妻 
人の画面
先へ行く 夜光虫
イヤホンを耳に戻して草いきれ
プラ板の食券小さき穴
夜光虫 先に ひらいて ゐる手紙
幸せな蟻に運ばれ蟻の国
理解不能即不要なり蟻の国

 


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/06/23(金)02:03

被害妄想

安倍政権が戦争を目的にしているというのは、
少し扇動的で、却って状況理解の妨げになると思っている。

安保法制、共謀罪、憲法改正、緊急事態条項などのねらいは
戦争ではなく、安倍政権自体の永続と考えたほうがいいだろう。

だから太平洋戦争のような壊滅的な総力戦には手を出さないと思うし、恐らく、「普通の日本人」が「まぁしょうがないかな」とか「制裁やむなし」と思うようなスカッとする武力行使を政権存続のために繰り返すようになるんだと思う。結構な人間を外国で殺させたりするわけだ。
そうやって、国内の不満や政策の失敗を外の戦争エンタメでそらしながら、選挙制度の形骸化と学問の経済化、隷属化をさらに推し進め、民主制から独裁体制に不可逆的に移行していくのではないかな。

今日衆院を通過した共謀罪は
政権に対して批判的なことをいう人間を速やかに排除できるだけでなく、そういう人間の発生を国民相互で防ぐための万能の法律として機能していくだろう。
(万能な法律など、法律としては致命的で欠陥品であることは言うまでもない)

もっとも、最初のうちは目立った運用などせず、
共謀罪に反対していた人間に「大げさに反対しただけの異常者の被害妄想」というレッテルを残らず貼っていくことからはじめると思う。
そして本格的に運用しても決して大々的にはせず、陰湿に静かに根を張っていくように思う。
15年も経てば政治的な自由は消え失せていると思うが、もはやその頃には、それがどれほどの悲劇かを分かる人間は今以上に少なくなっているだろう。

私はそれに対して立憲主義、個人主義の立場から明確に反対していくことになる。
そのための方法はまだないけれど面白いと思えるものを考えたい。


立ち位置 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/05/20(土)02:48

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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