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リフレクター


しかし、どのような状況でも私は俳句を続けるつもりなので、あらゆる方法で俳句の水溜りを豊かにするし、俳句に専心することだけではそれが達成できないとしても、だからと言って私の俳句とその考えを磨くことを怠る理由にはならない。やるかやらないかしかないならやる以外ない。俳句もやる。それ以外に必要だと思うこともやる。

梅雨空に「九条守れ」の女性デモ 
この句は、本来掲載されるはずだった、さいたま市大宮区の三橋公民館の「公民館だより」に句の内容(政治性)を問題視され掲載を拒否されたものだ。振れ幅でも一度、俳句としての出来は、外からの批判に耐えられる作りになっていない、いわゆる上手い句ではないと述べたうえで、掲載拒否の問題点について言及した。

簡単に経緯を説明する。
・公民館を利用していた俳句サークルは毎月句会の互選で「公民館だより」に載せる句を選んでいた
・その月は梅雨空に「九条守れ」の女性デモが選ばれた
・しかし公民館は「公民館の意見と誤解される恐れがある」と掲載を拒否、一月後改めて「世論を二分している内容の作品」は掲載しないと回答した

今、改めて考えると、句としての良し悪しの他にこの句の「政治性」の見え方について、もう少し突き詰めて考える必要があったのではないかと思っている。というのも句の良し悪し、公民館の裁量に話題が偏ってしまい、この句のもつ政治的批判性の性質についてはきちんと論じて来なかったからだ。私にそう思わせたきっかけとして鷹の同人、天地わたるさんの、「梅雨空に」をとりあげたブログ記事がある。
詳細は実際に読んでもらうとして、ここでは主要な部分のみ引用する。

「はっきりいって公民館も書いた人も知的レベルが低いのである。まず思想的なことを排除したいのなら公民館側はしかるべき選者を立てて選るということをすればいい」

「公民館もそのように専門家を擁して市民の句のよしあしを選別するシステムにしておくべきであった。そうすれば価値の低いスローガン俳句は容易に拒絶できたであろう。誰でも好きに書いたら載せてあげますよ、といっておいて政治性うんうんで拒否するのはまずい手であろう。」

「この句は俳句としてはよくない。表現で生きようとする者は芸術性の意識がなくてはならない。こんな句がいいと思っているのか。」

「俳句にデモ行進するプラカードの文言を書いてもどうしようもないのだ。」
「俳句は意味や思想などを訴えるものではないのである。そういう意図をつよくこめればこめるほど汚れてしまう。俳句はもっと感覚的なもの。意味がないから心がほぐれるものなのである。」

とまぁ、私も掲句の評価はそれほど高くないのだが、かなりのこき下ろしっぷりである。そしてこのような意見は何も彼一人だけが言っているのではない。ウェブ上のコメントなどに似たような意見が散見されるのだ。しかし、待ってほしい「梅雨空に「九条守れ」の女性デモ」の句自体のどこに、「思想的なこと」があった?句の表現するシーンは「スローガン」なのか?プラカードの文言をそのまま載せることに、季語との関係で技術的な不用意さはあるかもしれないが、「梅雨空に「九条守れ」の女性デモ」は形式的には純粋に客観写生である。作者も実景を書いたと述べている。もちろん同時に平和を願う気持ちもあったと言っているが(東京新聞 2015年6月23日 朝刊 )、この俳句自体が「意味や思想」にリソースの大部分を割いているだろうか?それを訴えているだろうか?よく見てほしい、全然そんなことないのだ。少なくともこの句は「九条を守れ」とは言っておらず、あくまでも描写に徹している。

週刊俳句の世界の見通しで俳句の持つ批判性について触れた通り、俳句には政治的、社会的なテーマをありのまま描写しつつも沈黙することによって、読者に判断を迫る一種のインスタレーション的側面がある。

天地わたるが何に不快感を示しているか、何を馬鹿にしているかと言えばそれは「「九条守れ」の女性デモ」という題材を取り上げたことのみが、思想的であり、自身の考える「芸術」ではないと言っているのである。
彼(彼等)の独善的な狭量さを明らかにしたこの句は、日本を包んでいる空気の一旦をまざまざと引き出したと言えるだろう。

私の憧れの俳人である藤田湘子は「入門俳句の表現」でこう述べている。
革命のこころ育てし机冴ゆ  井上信子
社会性俳句という言葉が俳壇を闊歩した時期がある。あの頃の若い作者は、社会性でなければ俳句は古い、という偏った観念にとらわれていた。(中略)その反省からか今は掲句のような発想さえ影をひそめ、もっぱらただの人事詠が幅をきかしている。それも俳句の流れであろうけど、私に言わせればやはり行き過ぎ。(中略)ときに社会の動き、政治のありようにも眼を向け、十分に咀嚼し発酵した思いを、あくまで自分に即して表出することも大切。いろいろな多様な素材・発想があって俳句は肥える。大きな一つの流れのみに固まって、他をかえりみぬというのでは、俳句の痩せをさそうばかりだろう。

良い俳句をつくることにかけて鬼のような湘子がそう言っているのだ。
梅雨空にの作者が俳句を続ける限りその世界は発酵してゆき豊穣になっていくだろう。

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ちょっとこんな感じでちょっとやんちゃに元気よくいろいろ書いていこうと思う。

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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/09/26(水)08:23

月がきれいだったから

そうだ、昨日も今日も、月がきれいだったから月の句を集めて発表しよう。過去のと今から作るの混ぜて。


月がきれいだったから 西川火尖

ろろろろと春満月へ向かふバス
紙芝居みたい春満月の海
春の宵大きな月を心配す
春月の余熱のやうに口ずさむ
夏月の縁取りは錫眠らねば
咳の子に夏月近過ぎはせぬか
梅雨の月成分無調整ミルク
糸鋸盤並びて月の涼しかり
けふの月きれいな紙を薦めけり
次々と月光役の子供来る
舞台袖まで月光の領土なり
録音のはじめの無音月の暈
月蝕の決まりをつくり待つてゐる
妻に火の起源を話す無月かな
米研いで月の雨上がりの匂ひ
魚になる子は月光に晒すべし
月光に骨の掠れるまで棲まふ
月光の鉄路を叩く保線員
けふ上がる月よ我が子は初めてか
冬の月出てる怖がらなくていい

今思い出せるやつ+新作
何か春とか夏がたくさん混ざっちゃったけど、春月、好きなんやわ。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/09/23(日)22:58

書き出し

原稿の書き出しを、うーんうーんと今まで書いては消してしていたけど、ようやく納得のいく鑑賞が一個できて、その流れで原稿全体のテーマも決まった。そこに至るまで幾つもの書き出しを書いて悩んでいたが、どれも不要になってしまった。結局どの書き出しとも関係のない内容になりそうなので供養のためにだしておく。


take1

高浜虚子は「極楽の文学」(昭和28)で「如何に窮乏の生活に居ても、如何に病苦に悩んでいても、一たび心を花鳥風月に寄することによってその生活苦を忘れ病苦を忘れ、たとい一瞬時といえども極楽の境に心を置くことが出来る。俳句は極楽の文学という所以である。」と俳句について述べている。これを読むと、羽海野チカの漫画作品「ハチミツとクローバー」8巻に出てくる健康ランドを思い浮かべてしまうのだが、最近どうにもその俳句健康ランドに居心地の悪さを感じてしまうのだ。というのも、


take2

もうすぐ連載が再開する冨樫義博の「ハンター×ハンター」という漫画作品では「制約と誓約」という概念が登場する。これは、術者自身に何らかの制約を課し、その遵守(守れなかった際の犠牲)を誓うことで、術者の特殊能力(念という)が向上するというものだ。当然、厳しい条件を課すほど著しい効果を発揮する。そして俳句においてその「制約と誓約」を最も多く取り入れたのが、高浜虚子である。虚子は俳句に「客観写生」「有季定型」「花鳥諷詠」といった制約を課し、それが守れなかった際は「それは俳句ではない」という誓いを立てた。その能力「極楽の文学」の力は凄まじく、虚子と彼が率いたホトトギス一派の俳句能力者は数多の名句とともに、俳句史を形成した。
しかし、いつのころからか、あるいは初めからか、というより虚子からして既に「制約と誓約」を他者の句に向けて課し、「俳句ではない」という判を押してきたのもまた俳句史の事実である。

前置きが長くなるのは悪い癖だが、こういった入りの部分を書くとテンションが上がるのでよくやってしまう。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/09/18(火)03:22

教訓

歯に衣着せぬ幼稚な罵声を連発するからにはどれほど尖ったご意見をお持ちだろうかと思ったら、ごくごく平凡な良識しか持ち合わせていなくてがっかりした。という経験を胸に、俳句に関係のないギャップやツンデレは評価に値しないという教訓を得た。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/08/09(木)01:29

それだけのこと~白澤弓彦について~

これから作られることのなくなっていくタイプの句のことを考えて、唐突に白澤弓彦のことをもっと読んで書かなければならないと思った。白澤弓彦は私が炎環に入った年に亡くなった。面識はない。ちょうど、炎環内で火尖が認知され始めたときに、誰かは忘れてしまったが、「弓彦に会わせてやりたかった」と言われ、「白澤弓彦句集」をいただいた。煌びやかな若手俳人の世界にいると、否応なく何らかの賞の受賞歴、活躍などが目についてしまうし、私自身、再び鳴かず飛ばずの状態になってしまったことに後ろめたい気持ちがないわけではない。しかし、白澤弓彦の句は、そういう自他の枠組みとは全く別の所、ただひたすら穴が空くほど自己を見つめたところに現われる句であり、他者から評価されることに依拠した句には立ち入ることのできないところに、ずっと在り続ける句である。

鶏頭の一本ただそれだけのこと 白澤弓彦

私の必要を満たすまで、白澤弓彦について、書いていこうと思う。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/08/09(木)01:17

細々としたこと

句作の不調について

句会(ネット句会から普段使いまで含めて)では点が取れるのに、不調感が消えない。不調感の原因について今有力な仮説が、作った句を「現実」に投げるのだけと、受け入れ先の「現実」で酷いことが起きすぎて、句に説得力が感じられなくなってしまっているのではないか。事実は小説より奇なりというか、自作が現実のどこにも刺さらないように思えてしまって前後不覚に陥っている。
白泉、三鬼のような時代になれば、俳句は今度こそ最後の輝きを見せるのではないかと思っていたが、少なくとも私に関しては再考が必要らしい。それについてはNHKラジオの青木さんの俳句の番組で言っていた戦時中(統制社会下)も大方の人は普通の日常詠をしていたというところをもう少し調べないといけない。
自分の不調を現実のせいにするなんて腰抜けもいいところと思われるかもしれないが、ある意味現実を信頼して対峙してきたところはあるので自分の中では当然の不調と言える。

俳句の賞をもらう前に会社の賞を貰ってしまった。面倒なことにうちの会社でも改善活動と言って業務を効率化させたり、生産性を上げたりする活動が義務付けられていて、期末ごとに数を一定数揃えないといけないのだが、なにか作っても報告の段になると面倒で「ましになった」とか「よかった」とか「風邪を引かないように気をつける」とか小学生並みのコメントをつけてだしてたのだが、それも面倒になって、調査時間が三十分くらい短縮できるツールを後輩さんとの連名にする代わりに後輩さんが報告書を書いてくれるというので全部おまかせした。そしたら効果測定とか金額換算とか正確にやってくれて、何かめっちゃすごい風ツールにしか思えないような印象で、社長賞になった。賞金は二人で山分けだけど、俺が報告書書いても「結構いいと思う。時間が浮くし簡単で便利」とかしか書かなくて埋もれてしまっていただろう。後輩すごい。そもそも改善活動がお金になるなんてほとんど知らないというか意識してなかったし。
俳句より会社のほうが簡単にお金になるんやなぁ。



未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/06/08(金)13:53

裸の王様問題

通勤中のためリンクを貼ったりは全部は無理。
参考リンク

高田獄舎のツイートより
勝者「「オルガン」系の俳句は所詮はオルガン村の中でしか通用しないような[方言]で書かれていると思う。意味不明の俳句を作ってはお互いに「うんうん、わかる」と言い合い安心しているようにしか思えない。それは単なる[自閉]だ。もちろん例外はあるし、宮本佳世乃さんの句には圧倒されるけれども。」

勝者「表現を弄りすぎて、読んだときになにも伝わってこないような句は問題がある。俳句界は無駄にプライドの高い奴ばかりだから、伝わらない句とその作者に対して、伝わらないよと言えない空気がありますけどね。」

勝者「「オルガン」について批判的なことを言えばすぐ叩かれるのは興味深い。どうりで鴇田や田島らの句に対する批判をほとんど目にしないわけだ。」

単純な例え話に置き換えてしまえば、彼は「王様は裸だ!」と言っているのだと思う。そして、それに対する反応が芳しくないことに苛立ちを表明している。
しかし高田獄舎のツイートに対して批判殺到かというとそうではなく、青山茂根による返信や久留島元のリンクなど考えるべき評を寄せているものもいる。あとは大塚凱の返信は今後の話の持ってき方について冷静なものだろう。総じて様々な反応があったものの、どちらかというと反応の数自体は限られていたようにも思う。

この、王様は裸だ!に対して、
原作童話であれば、王様は馬鹿には見えない服を着ているがそんな服などあるわけなく、正直な子供と、ないものをあると言い張る大勢の図という教訓めいた寓話になるが、しかし俳句の場合は、「人によっては見えない服」というのは確かに存在する。吟行の中だけで成立する句や、知識で読みが広がるものなどはそのわかりやすい例だが、読みの1パターンとして、見えない分からないはあると思う。もちろん見えないのは馬鹿だからだと言いたいわけではなくて、その句が誰に見えて誰に見えないのか、それがなぜなのか、見えるという者は本当に見えているのか、見えるとは何なのか、見えないのは句のせいなのか読者のせいなのかという、俳句と他者の関係について考える必要が出てくるのだと思う。この俳句の「分かる分からない問題」は多くの人があちこちでずっとやってきたもので目新しさはないし、大切な問題ではあるが答えが出なくてきりがない。その昔GLAYも「疑いだせば きりがないから僕達はいつの頃から本当の気持ちを言えず黙る事を憶えた」とBE WITH YOUで歌っている。

高田獄舎はおそらくオルガン賛美はオルガンという「ブランド」を無批判にありがたがっている読者が多いのではないかという疑いを持っていて、そのブランドの構図が「分かる分からない問題」に余計な影響を与えていることを主張して批判したいという意図があるのかもしれない。しかしこれも疑いだせばきりがないというか、彼自身が納得する「彼の意に反した答」が果たしてあるのかどうか。

オルガンメンバーについてはよく知ってるとまでは言えないが、しかし何度か句座はともにした感想として、彼等が「ブランド」に寄りかかっているとは思えない。
高田獄舎のオルガン批判に反感をもつ読者は、自分の反感がどこに根ざすものなのか考えるにはいい機会だと思う。その際、「批判自体はいいんやけど、「無駄にプライドの高いやつばかりだから」だとかの言い方がね」と思うのも無理はないが、今回はそこまでひどくないしそこはもう割り切ってなんとかしなな(通勤中につきまとめ投げやり)(なんだか彼の言い振りは的を絞らせないというか彼に対するまともな批判を躱す効果を発揮してるように思えて、彼の生来のものなのか防御の手段なのか気になる)




未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/06/06(水)08:57

適者生存

多少感傷的になってる。

以前、薄い漠然とした不安に対して、自分の俳句は本当によく反応してくれて、それなりに納得の行くものが作れていた。それは、薄曇りの中にナイフをかざしてキラキラと反射させるのに似ていた。それだけで何かしらかの達成感があった。
ただ、今、眼前にある壁のような危機に対して、同じようにはできないし、やってみたところで虚しさが勝ってしまう。
これまで、新しい句を求めながら、意外なほど正直に俳句で掬える範囲のことしか俳句にしていなかったのだ。そして、それに耐えられなくなりつつも、ナイフを壁に突き立てることに躊躇している。

春風や闘志いだきて丘に立つ  高浜虚子




未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/05/10(木)20:48

リセット

安倍主義に関しては、正直言って国が滅びるまでの我慢だと思う。そうでも思わないとやってられない。

戦後、そのチャンスを得てもどうにもならなかった結果が今なわけだから、期待薄だけど。

今度の戦争で、日本人は、少しは利口になるだろうか。非常な疑問である。教育を根本的に変えなければ。(清沢洌 暗黒日記)

こういうのは、TwitterにもFacebookにもリンク貼れないね。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/05/08(火)19:20

詰んでから

今後、少子化が回復することは多分ない。

今以上に国保や年金制度、税制、インフラなどが維持できなくなるが、同時に現在の国粋的な政治嗜好も最後には立ち行かなくなるし、その途中で国際的な影響力はかなり小さくなるだろう。あるとしたら核武装からの「侍国家」化だが、そうなるともうほぼ詰んでいる。安倍主義は詰んでからが醜く長いのと、国民に「将棋」のルールを知るものが少ないので、駒を全部取られるまで続けるしかないかもしれないが、それでも目算で百年以内にはほぼカタがつくだろう。

その後は国際的な政治空白地帯になってしまうが、学問をないがしろにしている政体からまともなプレーヤーが出るとは思えないので、ようやくここで生き残りは自業自得と自己責任の意味が理解できるかもしれない。いや、無理だろうな。生き残ってしまってる状態では過ちに気づくことができないというのが、そもそもの病巣なのだから。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/05/07(月)08:41

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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