細々としたこと

句作の不調について

句会(ネット句会から普段使いまで含めて)では点が取れるのに、不調感が消えない。不調感の原因について今有力な仮説が、作った句を「現実」に投げるのだけと、受け入れ先の「現実」で酷いことが起きすぎて、句に説得力が感じられなくなってしまっているのではないか。事実は小説より奇なりというか、自作が現実のどこにも刺さらないように思えてしまって前後不覚に陥っている。
白泉、三鬼のような時代になれば、俳句は今度こそ最後の輝きを見せるのではないかと思っていたが、少なくとも私に関しては再考が必要らしい。それについてはNHKラジオの青木さんの俳句の番組で言っていた戦時中(統制社会下)も大方の人は普通の日常詠をしていたというところをもう少し調べないといけない。
自分の不調を現実のせいにするなんて腰抜けもいいところと思われるかもしれないが、ある意味現実を信頼して対峙してきたところはあるので自分の中では当然の不調と言える。

俳句の賞をもらう前に会社の賞を貰ってしまった。面倒なことにうちの会社でも改善活動と言って業務を効率化させたり、生産性を上げたりする活動が義務付けられていて、期末ごとに数を一定数揃えないといけないのだが、なにか作っても報告の段になると面倒で「ましになった」とか「よかった」とか「風邪を引かないように気をつける」とか小学生並みのコメントをつけてだしてたのだが、それも面倒になって、調査時間が三十分くらい短縮できるツールを後輩さんとの連名にする代わりに後輩さんが報告書を書いてくれるというので全部おまかせした。そしたら効果測定とか金額換算とか正確にやってくれて、何かめっちゃすごい風ツールにしか思えないような印象で、社長賞になった。賞金は二人で山分けだけど、俺が報告書書いても「結構いいと思う。時間が浮くし簡単で便利」とかしか書かなくて埋もれてしまっていただろう。後輩すごい。そもそも改善活動がお金になるなんてほとんど知らないというか意識してなかったし。
俳句より会社のほうが簡単にお金になるんやなぁ。


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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/06/08(金)13:53

裸の王様問題

通勤中のためリンクを貼ったりは全部は無理。
参考リンク

高田獄舎のツイートより
勝者「「オルガン」系の俳句は所詮はオルガン村の中でしか通用しないような[方言]で書かれていると思う。意味不明の俳句を作ってはお互いに「うんうん、わかる」と言い合い安心しているようにしか思えない。それは単なる[自閉]だ。もちろん例外はあるし、宮本佳世乃さんの句には圧倒されるけれども。」

勝者「表現を弄りすぎて、読んだときになにも伝わってこないような句は問題がある。俳句界は無駄にプライドの高い奴ばかりだから、伝わらない句とその作者に対して、伝わらないよと言えない空気がありますけどね。」

勝者「「オルガン」について批判的なことを言えばすぐ叩かれるのは興味深い。どうりで鴇田や田島らの句に対する批判をほとんど目にしないわけだ。」

単純な例え話に置き換えてしまえば、彼は「王様は裸だ!」と言っているのだと思う。そして、それに対する反応が芳しくないことに苛立ちを表明している。
しかし高田獄舎のツイートに対して批判殺到かというとそうではなく、青山茂根による返信や久留島元のリンクなど考えるべき評を寄せているものもいる。あとは大塚凱の返信は今後の話の持ってき方について冷静なものだろう。総じて様々な反応があったものの、どちらかというと反応の数自体は限られていたようにも思う。

この、王様は裸だ!に対して、
原作童話であれば、王様は馬鹿には見えない服を着ているがそんな服などあるわけなく、正直な子供と、ないものをあると言い張る大勢の図という教訓めいた寓話になるが、しかし俳句の場合は、「人によっては見えない服」というのは確かに存在する。吟行の中だけで成立する句や、知識で読みが広がるものなどはそのわかりやすい例だが、読みの1パターンとして、見えない分からないはあると思う。もちろん見えないのは馬鹿だからだと言いたいわけではなくて、その句が誰に見えて誰に見えないのか、それがなぜなのか、見えるという者は本当に見えているのか、見えるとは何なのか、見えないのは句のせいなのか読者のせいなのかという、俳句と他者の関係について考える必要が出てくるのだと思う。この俳句の「分かる分からない問題」は多くの人があちこちでずっとやってきたもので目新しさはないし、大切な問題ではあるが答えが出なくてきりがない。その昔GLAYも「疑いだせば きりがないから僕達はいつの頃から本当の気持ちを言えず黙る事を憶えた」とBE WITH YOUで歌っている。

高田獄舎はおそらくオルガン賛美はオルガンという「ブランド」を無批判にありがたがっている読者が多いのではないかという疑いを持っていて、そのブランドの構図が「分かる分からない問題」に余計な影響を与えていることを主張して批判したいという意図があるのかもしれない。しかしこれも疑いだせばきりがないというか、彼自身が納得する「彼の意に反した答」が果たしてあるのかどうか。

オルガンメンバーについてはよく知ってるとまでは言えないが、しかし何度か句座はともにした感想として、彼等が「ブランド」に寄りかかっているとは思えない。
高田獄舎のオルガン批判に反感をもつ読者は、自分の反感がどこに根ざすものなのか考えるにはいい機会だと思う。その際、「批判自体はいいんやけど、「無駄にプライドの高いやつばかりだから」だとかの言い方がね」と思うのも無理はないが、今回はそこまでひどくないしそこはもう割り切ってなんとかしなな(通勤中につきまとめ投げやり)(なんだか彼の言い振りは的を絞らせないというか彼に対するまともな批判を躱す効果を発揮してるように思えて、彼の生来のものなのか防御の手段なのか気になる)




未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/06/06(水)08:57

適者生存

多少感傷的になってる。

以前、薄い漠然とした不安に対して、自分の俳句は本当によく反応してくれて、それなりに納得の行くものが作れていた。それは、薄曇りの中にナイフをかざしてキラキラと反射させるのに似ていた。それだけで何かしらかの達成感があった。
ただ、今、眼前にある壁のような危機に対して、同じようにはできないし、やってみたところで虚しさが勝ってしまう。
これまで、新しい句を求めながら、意外なほど正直に俳句で掬える範囲のことしか俳句にしていなかったのだ。そして、それに耐えられなくなりつつも、ナイフを壁に突き立てることに躊躇している。

春風や闘志いだきて丘に立つ  高浜虚子




未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/05/10(木)20:48

リセット

安倍主義に関しては、正直言って国が滅びるまでの我慢だと思う。そうでも思わないとやってられない。

戦後、そのチャンスを得てもどうにもならなかった結果が今なわけだから、期待薄だけど。

今度の戦争で、日本人は、少しは利口になるだろうか。非常な疑問である。教育を根本的に変えなければ。(清沢洌 暗黒日記)

こういうのは、TwitterにもFacebookにもリンク貼れないね。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/05/08(火)19:20

詰んでから

今後、少子化が回復することは多分ない。

今以上に国保や年金制度、税制、インフラなどが維持できなくなるが、同時に現在の国粋的な政治嗜好も最後には立ち行かなくなるし、その途中で国際的な影響力はかなり小さくなるだろう。あるとしたら核武装からの「侍国家」化だが、そうなるともうほぼ詰んでいる。安倍主義は詰んでからが醜く長いのと、国民に「将棋」のルールを知るものが少ないので、駒を全部取られるまで続けるしかないかもしれないが、それでも目算で百年以内にはほぼカタがつくだろう。

その後は国際的な政治空白地帯になってしまうが、学問をないがしろにしている政体からまともなプレーヤーが出るとは思えないので、ようやくここで生き残りは自業自得と自己責任の意味が理解できるかもしれない。いや、無理だろうな。生き残ってしまってる状態では過ちに気づくことができないというのが、そもそもの病巣なのだから。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/05/07(月)08:41

クラスの主流派が非主流派や目障りな奴を貶めるときに、相手が主流派でないことを攻撃の口実にするやり方と似ている。

最近思うのが、人格攻撃と「強い批判」の線引きが曖昧な人にとっては強い批判≒人格攻撃や所属組織への攻撃になってしまうのだなと思った。読んでもらえばわかる通り私が何かを批判するときは、人ではなく発言を批判するようにしているのだが、その辺の微妙な違いを読み取ってくれる人ばかりではないということはもう少し気に留めておいた方がいいかもしれない。反対に私も、相手の発言ではなく、相手そのものを批判したり否定することに意義を感じてるような人がいることが分かったので、相手の発言にそういう雰囲気を感じたら相手にしないように気をつけようと思う。


最近、すごく嫌なことがあって、とてもイライラしているし内輪ノリというものに失望している。彼らとは一緒に笑うことができないということを、まざまざと思い知らされた。
そういうこともあって、あまり安定した心持ではないのでTwitterで諍いを起こしてしまった。バランスを欠いていたと思う。
話を戻して、俳壇の内輪で固まって行われるいじめ遊びは、特に俳壇外にその矛先が向いたときは止める者がおらず、より自制の効かないものになるのかもしれない。理論や議論で刺しにいくのではなく、クラスの主流派が非主流派や目障りな奴を貶めるときに、相手が主流派でないことを攻撃の口実にするやり方と似ている。それがあまりにも自然に行われるため、その醜悪さや恥ずかしさを訴えても周りの理解を得られない絶望感がある。
理由のないいじめなどないとうことを、いじめる側は最大限利用して、自らの正当性としているようだが、それにしても、周りで見ていて且つ状況を理解している人はそれを疑問に思わないのだろうか。

2018/05/19追記
ウェブで公開されたようなので、この文章のきっかけのリンクを貼る。





未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/21(土)00:48

むじなメモ

むじなの座談会を読んで震災詠から考えていたら随分時間が経ってしまった。短くまとめることはできないけど、しかし長々と書いても遠ざかるようで難しい。いくつかの断片的な感想を以て、自分自身のヒントとしたい。



神野紗希という人選は良かったと思う。俳句2011年5月号の被災地への励ましの一句という依頼に対し、「良心的拒否」と迷った上での、神野紗希の身辺詠は、被災地以外の人間があの時点で俳句を通してどうするのか、励ましと言われておそらく多くの人が戸惑いと割り切れない気持ちを覚えたと思うが、その戸惑いにきちんと正対したものだったと思う。

暁鴉・睡魔・マイクロシーベルト   神野紗希
「詩歌の力」という語の乱用を避けたい。本当の詩歌の力は、何も言わなくても、しずかで深いところで、変わらずはたらくと思っている。(俳句2011年5月号)

その神野紗希が震災詠について、その場にいなくても、そこにいるかのような句になればと言っていたことに注目した。それは装えばいいであるとか、上手く詠めばいいであるとかとは全くの別物である。
私達には想像することは許されていて、その許しに対してこちらが差し出せるものが、「その場にいるかのように詠む」なのではないだろうか(要検証)

あとは、むじなメンバーそれぞれの主に震災詠が詠めなかった、詠まなかった理由について、東北と一口に言っても被害程度が地域によって全然異なるという点、短歌と俳句の違い、より影響を受けた被災者に読まれるという迷いなどが挙げられていた。もちろん、被災地だから、被災地に近いからという理由で震災を詠まなければならないなんて馬鹿な話はなく、しかしだからこそ、詠むには自身の中に確固たる理由がいる。あるいは、現実に入り込んで固定化してしまった震災の傷や傷跡までもを、自然として認める俳句の眼によって、結果として震災詠になるということはあるだろう。

むじな作品の中では
唯一、直接的に震災とつながるものを詠んだのは

蠅生る除染袋を押し退けて   一関なつみ

だった。

通勤中で今日はむじなが手元になく、不十分、未消化な点はあったが、思い出しながら書くということで、出てくるものが知りたかった。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/13(金)08:18

続・綿菓子日記1

山笑ふペットボトルのラベル剥く

去年スピカで連載した綿菓子日記は、私と彼女の出来事を中心に思いつくままに書きちらかしていったのだが、中には掲載を見送ったエピソードもある。あれから一年たって、当時のテキストを引っ張り出して見ていたら、ちょっとだけお蔵入りした話を思い出しながら新しく書き足したくなった。

深夜テンションの恐ろしさはなぜお蔵入りにしたかという肝心なところを忘れさせる。目が醒めて正気を取り戻した!!ちょっと恥ずかし過ぎるので引っ込めます。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/03/23(金)01:53

ほへーほへー

ちょっと備忘録的に、あまり立ち入った話はなしで。
西山ゆりこさん発起人のピクニック句会に行ってきた。
ダンススタジオでごろごろしながらやる、子供連れOK、おもちゃ持ち込みOK、ペンだけもって参加という句会だ。私も子供におもちゃを持たせて、あとは本当に俳句に関連のあるものはペンだけで参加した。好き勝手にフロアを走り回ったりする子供たちの声に負けないようにポータブルのマイクを持ち込んだりと、なるほどなるほど、子連れ句会にも取り入れたいなと思わせる工夫があった。あと子供の年齢層が低いので、久しぶりに1歳児とか8か月さんとかを見ることができた。小さい。
句会の方は、さすがに私が同年代で句会やってみたいと思う人たち大集合だったので、みんな慣れたもので、ゆりこさんの回しも的確で、みんなの選句と評のリレーが面白かった。ほへーほへーと何度もうなった。最後は記念撮影をしてお終い。二回目があればまた行きたい。
悔まれるのが、生駒さんに最初気付かなくて、気付いてからはずっと、「気付かなかった。ほへーほへー天気さんに似てるけど若すぎるし、だれかと思った」みたいな話しかしてなくて、向こうも最終的には「いや、お前ちょっとは俳句の話せえよっ!」って思ったかもしれない。
私は、あれだな、文章の中ではそれなりに面白いとか期待されることはたまにあるんだけど、会えば大抵がっかりさせちゃうのがな、致命的なトークの筋の悪さ。それをな結構気にしてる。がっかり火尖。
でも面白かった。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/03/22(木)02:05

切れについて

実体験の範囲で言わせてもらうと「切れ」に対する理解をかなり狭くして使っている人は多いと思う。炎環もその傾向がある。つまり、「や」で切ったりすると意味上でも絶対に切れているという判断が機械的になされてしまい作句上・鑑賞上の可能性を潰してしまっていることがある。

たまに上五の名詞の切れだけでもそういう処理をする人たちがいるが、それだと句中に切れのある句はみんなニ物衝撃になってしまうのだが、それはいくらなんでもおかしいし、おかしいと気づいてくれよ。切字を使っていても音だけを切っている場合と意味ごと切る場合とそもそも切れていない場合とがある。
例えば、
夕立や殺生石のあたりより 正岡子規
意味で切ると意味が分からない。

蟷螂や二つ向きあふ石の上 正岡子規
これも二つ向き合っているのは蟷螂であり、やを使う一物仕立ての例。

反対に取り合わせとしては、ぱっと思いつくのが有名な句になっちゃうけど
秋風や模様の違ふ皿二つ 原石鼎

人によってはそんな当たり前のこと今さらと思うかもしれないが、初学時代に十二音技法なんかが骨身にしみたまま成長しちゃうと意外とありえるから、ちょっと書いておこうと思った。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/03/12(月)01:29

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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