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航路予測-金沢大学俳句会誌「凪」を読む

私が俳句を始めたのは大学生の頃で、しかしその頃は、学生の俳句会を作ろうなどという行動はついに起きなかった。想像はちょっとはしたけどネットから結社というルートだった。
だから知己の若林哲哉が金沢大学俳句会を立ち上げて、仲間を集めて、句会を開いて、彼らが会誌「凪」を発行してというのを結構眩しく思いつつ眺めていた。
創刊メンバーは、若林哲哉、ツナ子、敷島燈、坂野良太、姫草尚巳の五人。第二号ではそこに岩田怜武(さとむ)が加わる。第三号ではさらに北條壮紀(そうき)、他に新入生が二名加わり総勢9名となる。新入生の作品はおそらく次号となるだろう。それも楽しみである。
今回は第三号の句を読みながら、既存メンバーは過去の句にも触れながらどのような変化の最中にあるか見ていこうと思う。 

頬杖の耳朶  岩田怜武 
麺類のレーンに並び直せ夏
街は夜空いたビールの缶を積む
まずは掲句ニ句に注目した。カフェテリア方式の食堂で、カウンターで麺類を頼もうとしたら、「並び直せ」と言われてしまって…という感じだろうか。並び直すという徒労に命令形の勢いでやるせなさに迫られている印象が生まれた。そこに唐突に夏と付くことで、その感覚がぐっと圧されて濃くなったように思う。その感覚は次の句にも通じている。「街は夜」という広い賑わいの景に対して、空缶を積むという、行先不明のやるせなさが面白い。ちなみに第二号初登場時にも「春の山裏側は見ていないけど」「新年の抱負いわされそうになる」を発表した作者。この微妙な屈託が彼のベースにあるのだろう。それに加え、第三号では表題句の「頬杖の耳朶のかすかに涼しかり」の俳句に慣れた表現も見られるようになった。この句自体は、まだこなれているという以上のものではないが、彼の「行先不明のやるせなさ」のまま、表現が洗練されていくと中々面白くなっていきそうである。作者は変化の只中にいる。

きづき  坂野良太
ほのかなる手に残る香の夏祭り
浮いてくるゴム人形の歪み顔
ストレートな句が並ぶ。夏祭りの句はデートの句だろうか。ゴム人形の句はストレートな表現がうまく活きた。ゴム人形もそうだが今回の発表作の中の「洗い髪なびかせ走る吾走る」「ザリガニを吊り上げる糸切れる音」など上五中七で述べた内容に下五でもう一押しする作り方が多くみられた。その中で、ゴム人形は下五に説得力のある意外性があり面白いと感じた。若林哲哉に声をかけられ俳句を始めた作者であるが、第二号の「はるさめをぱくぱくたべるにしきごい」の単純さ、分かりやすさをベースに「歪み顔」のような意外性を素知らぬ顔でさしこんでくるとぐっと面白さが増すように思う。

振り返って立夏  敷島燈
春雷を聞いて八秒の留守電
嘘つくまで舌磨きして春時雨
一句目、元となった事実はどうあれ、八秒と分かるのは吹き込む側より、留守電を聞く側だろう。留守電のリストの表示に8秒と出ていたのだと思う。これが吹き込む側であるならば、画面に表示される時間は留守電のアナウンスも含まれるので1分前後になるだろう。ここまでは理屈の話。「春雷を聞いて」とあるが留守電を聞いたかどうかは明記されていない。私は留守電を聞いていないととった、春雷という何かしら予感を感じさせる季語に8秒だけのメッセージ。重要なメッセージかもしれないが、8秒では複雑な話ではない。「八秒の留守電」とだけ置くことで、聞くか聞かないか一瞬の逡巡が感じられ、それが8秒という短いメッセージに春雷の予感性と釣り合うほどの存在感をもたらした。
二句目、準備を念入りにしなければならないほどの嘘と、嘘をつき終えた後のひりひりとした痛みまで想像させる一句。春時雨の優しさはしかし、すぐに降りやんでしまって、なにか取り返しのつかない変化を与えそうである。
創刊号では「ほんたうのさいはひに死す蜻蛉かな」「夢果てて私だけがみてる蛍」と終わりの景色に思いを馳せていた作者だが、今号では予感や続いていくものに対しての句が多かった。もっとも、それは不可逆的な変化ではなく、作者の描こうとしている世界の広さがあらわれているのだと思う。

このまま夏になるよ  ツナ子
眉毛剃りすぎて短夜許さない
泣かされても同じかたちで昼寝する
世界ということならこの作者の世界の作り込みへのこだわりは中々徹底したものを感じる。テーマとか題材とかそういう統一された話ではなく、あくまでも作者が生んだ俳句のその周辺までも動いて生きているようなという意味で。例えば抽象的な話になるが、私からは普段、他人の世界は暗幕につつまれて見えないが、ツナ子俳句によって、彼女の作った世界に十七音の隙間が生まれ、そこから暗幕の中が覗けるような印象である。沢山の句を読むことで作者の生み出した一つの世界を別々の切れ目から見ているような印象を受ける。
夏痩せの手首がそこを右と言う」「春夕かしこで結ぶラヴ・レター」「八月十五日ラーメン茹ですぎる」(以上創刊号)柏餅の柏かさねる二人暮らし靴下を脱ぎたがるひと春炬燵」などツナ子世界で生きる人の暮らしがそこにあるのである。

当初は、凪創刊の言葉「時に荒れ狂う言葉の海を渡っていくためのバイブルとして「凪」が僕たちを導いてくれることを信じつつ」と、若林哲哉一人からの仲間集めの経緯を絡めて、漫画ワンピースになぞらえて書き始めたのだけど、あまりにもパロディの度合いが高くなりすぎてしまってボツにした。しかし小川軽舟の著作は「現代俳句の海図」であるし、坪内稔典は「船団の会」の代表だし、氏は海賊船の船長で間違いなさそうだし、いつか使いたい案ではあるな。

後半では姫草尚巳、北條壮、若林哲哉について書く。

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書評 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/10/14(日)08:42

新しい映像が記憶のように加わること

去年立ち上がった金沢大学俳句会から会誌「凪」が届いた。去年できたばかりの会だが、精力的に活動し、無事凪の第二号が発行されたようである。

凪二号、『なぜ、俳句なのか』若林哲哉と丸田洋渡の対談より

丸田「たしかに。実際に感じるのとはまた趣の違う、感じられるということ。聞いていて思ったのは、俳句には『思い出させる』力があるのかもしれませんね。記憶や経験を文字によって引き出す。」
若林「きっと、それも、俳句が『切り取る』ものだからだと思うんですよね。〈泪して仰げば夏の星に蘂/正木ゆう子〉『羽羽』なんかは、良い例だと思います。どこかで経験しているのだけど、忘れてしまっていること。そういうことたちを、ああ、あれってそういうことだったんだ、と思い出させてくれるのが俳句ですね」

ここで、二人は俳句によって経験が呼び起こされることについて語っている。この二人の主張は特別なものではない。まとまった数の俳句を読んだものならほとんどの人が経験している感覚ではないだろうか。俳句が意味内容を伝えることを得意とする形式ではないことは、その短さで説明できるし、切れによる空白や省略による余白を読者自身に補わせようとするのは(もちろんそうではない切れや省略はあるが)つまり俳句は伝える形式ではなく、読者の中にある様々なイメージを整え、それらを使ってイメージを構成するための設計図として捉えたほうが俳句の特徴をうまく言い表しているように思う。二人の対談はこれから俳句を始めようと思う者に向けられたものだが、はじめにそこについて意識を向けるのは、いわゆる名句についてあれこれ語るよりもずっと意義があると思う。

凪二号の中からいくつか引く
春の山裏側は見ていないけど  岩田怜武
はるさめをぱくぱくたべるにしきごい  坂野良太
鶴引いて毛根鞘をしごき取る  敷島燈
春日傘 意識高い系のポーズ  ツナ子
薄雪やつひに足あとのざわめき 姫草尚巳
きよらなり枯蟷螂の胸筋は  若林哲哉

これらの句の中にも、例えば毛根鞘の句に、机に向かってはいるものの、受験勉強などではなく髪の毛を抜くことに熱中して、抜いた毛の毛根でノートに貼り付けたり、白い透明な鞘をこそぎ取ったりしてただただ無為の時間を過ごしていた記憶が思い出される()「鶴引いて」が言い訳のようにアンニュイで面白い。また、「きよらなり枯蟷螂の胸筋は」、「はるさめをぱくぱくたべるにしきごい」蟷螂の胸筋や、雨に口を開く錦鯉などはまじまじと見た記憶はないのだが、これらはまるで思い出すような感覚で映像を思い描くことができる。俳句のほうが思い出すという行為より、ずっと深く脳に刺さって記憶を引っ張ってくるということだろう。蟷螂はそのリズムの良さで、にしきごいは平仮名書きで幼い記憶に直結するのかもしれない。
あるいは、もっと踏み込んで言ってしまえば、読者の体験したイメージの断片を俳句という設計図によって組み合わせることで、今まで体験したことのないイメージ映像がまるで記憶のように現れることも可能なのだと思う。「春日傘 意識高い系のポーズ」はこの句で分かち書きを持ってきてしまうのが、まさに「意識高い系」という構成になっていて、脳内の記憶がそれに沿うようにモンタージュされ、見たこともないのに、少し鼻持ちならない気取った様子がイメージされて面白い。

金沢大学俳句会メンバーそれぞれの表情のよくでたいい雑誌だと思った。


書評 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/13(金)12:52

俳句のWi-Fi

子連れ句会を企画して、初めての人も入ってきて、
facebookにはグループも立てた。
佐藤文香ではないけれど、初めての人に向けた文章を
書きたいと思っている。
話題の「俳句を遊べ」をアマゾンで買って読んでみたら、
すごくよくできていて、俳句を始めて少しづつ備わっていく
感覚やら言葉の距離感やらがすごく楽しく分かるようにできていた。
中学生のころ、Windows98だったかな親が初めてPCを買ってきて、
ネットにつなごうってなったんだけど、難しくて1日ではできなかった。
試行錯誤っていうか、ほとんどよくわからない設定に時間をつぶされて、
やっとつながったのを覚えている。
俳句もそうで、自分の場合は「油蝉もこんがりあがるアスファルト」とか
枕に彼女の匂いが残るみたいなそういう句を作っている期間が実はすごく長くて、
俳句の世界につながるのにはかなり時間がかかった。
そこへ来ると「俳句を遊べ」は本当に今のネット環境に似ている。
読めば俳句のWi-Fi にすぐつながる感じで、すごく画期的なことだと思う。
試行錯誤とか言って、独学で100万回油蝉がこんがり揚がるところを詠んだって
何もいいことなんかないから、俳句なんて、俳句の世界につながってからの方が
圧倒的に新しくて深いことが試せると思ってる。

だから、俺が初めての人に何か書こうとしても、
「とりあえず「俳句を遊べ」を読んでみたら」と言うのに比べて
どれほど有意義なことが書けるのだろうかと、ちょっと落ち込む。
分かりやすさという点で非常に優れているように見えるが、
本当は俳句のライブ感や熱量が味わえるという点が、これまでのものとは一線を画しているのではないか。
単純にこの本だけを読み込んできましたって、初心者が句会に来て、
点とれなかった方が死ぬというルールのデスゲームの幕が突如上がってしまったら、
ちょっと俺やばいかもしれない。おすすめ。

テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
書評 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/04/03(日)00:58

生還す 鑑賞 2

句集生還すより、適当にページを開いて気になった句に短評をつけた。

昭和逝き師逝き母逝き新米来  石寒太

当初、炎環誌でこの句を見たとき、新米来がなんだか無理にオチをつけたみたいで、あまり好きな句ではないなと思っていた。
しかし、時間の過ぎ方って本当にこの通りなんですよね。間隔がだんだん狭まって来て、去ってしまう。ストンと心に落ちてきて、感触だけが残って、これは、切ない。


黒人の街深く入りサングラス

なぜサングラスの句にはあまり凄いのが無いのだろうか。歳時記を開いても、適当に探しても大した句がない。この句もあまり面白い句ではないので、もうこれはサングラスが悪いんです。断言。


たかが人間ただの冬瓜ころがれり

面白い句ですよね、読むときは「たかが」「ただの」を心持速く読み、緩急をつけると独特のリズムが出ます。「ころがれり」の乾いた着地と人間を出すことででる湿っぽさが、これは塩チョコの類ですかってぐらい、ベストマッチではないでしょうか。他に
鬼胡桃人間一個さびしいか  白澤弓彦
これはっ惚れる!





テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
書評 | コメント(0) | トラックバック(0)2008/10/19(日)00:51

スケアクロウ

京都の夜はまだ蒸します。
最近の仕事への不平不満といい、未だに順応しきれない尖が割と好きなんですが、何の役にもたたないですね。

日曜日も午後十時を回ると頭の中の陰鬱スイッチが入りっぱなしになって、どんだけ仕事嫌なんだよと思うのですが、一方で、まだマシな待遇ではあると思う。

いろんな感情でもやもやするとき、目の前がぐるんぐるんするとき、
春に辞めた同期が秋に仕事が見つかり、
カチリと何か歯車が進んだ感じがしたとき、

そんなときに読む句集は
丹沢亜郎の「盲人シネマ」

亜郎さんは高円寺で小さいライブハウスを経営している。
七月に彼女と訪れたときは突然だったので驚かれたが、楽しい時を過ごせた。
ライブハウスや映画館などの暗いところに浮かぶ人間の表情は濃い。
カウンターの白熱灯に皮膚の脂と影、音楽に空気をたくさん使っている。

マイルス・デイビス逝くセーターの静電気
階段の中ほどに坐し除夜の鐘
通夜明けて童話の色の冬苺
ストーブの油こくんと母はなし
北窓を開け北窓を寂しくす
空蝉を脇に刺青写真集
サド伝記香水の壜どれも空
ピアニカを吹く緋のカンナ黄のカンナ


この句群とは関係ないのかもしれないけど、
いろいろなものが通り過ぎていく寂しさを、
感じて、尖は「盲人シネマ」を本棚から引っ張りだしたのです。




テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
書評 | コメント(0) | トラックバック(0)2008/08/31(日)23:50

どうしようもないもの第一位

重松清「さつき断景」を読む。好きなタイプの鬱感に包まれる。
どうしようもないものランキング第一位はやはり「時間」だろう。
少し前にアインシュタインが「歪むねんで、あれ」と言っていたが、嘘だと思う。歪むのは僕たちの方なんです。

とりかえしのつかないことばかりのせいで、
結局日めくりカレンダーばかりめくっている。

破っちゃったら捨てるしかないけど、まだ沢山残っている。


バイト先で書評誌の打ち合わせ。

春風の緩まんとして減らぬなり  火尖
ふくらますテレビの中のゴム風船
風光る街の節々折れながら
桜の夜燃やせば毒になる器



テーマ:日記│ジャンル:日記
書評 | コメント(0) | トラックバック(0)2007/03/20(火)14:37

平凡と非凡のLaLaLa

東京で一番最初にもらった本は、山口紹子さんの句集「LaLaLa」だった。この句集は以前、戦国洗顔史という記事を書いたときに、読んでみたい句集と書いたのだ。それを紹子さんが見てくれていたのかもしれない。
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句集としては珍しい文庫サイズである。るろうに剣心24巻と大きさを比較しても、その小ささが分かる。もちろん、のだめカンタービレやハチクロ、ブリーチなどと比べても小さい。
学校に持って行ったり、授業中に読むにはちょうど良い大きさである。
さらに、装丁もなかなかよい。鉛筆にまたがった魔女なんて、紹子さんにぴったりである。実際会ってそう思った。句集っぽくないから、二人の妹も興味を示した。句集だと分かるととたんに興味をなくしたが。

さて、内容。

バレンタインの日やボクサーの頬の傷
バレンタインの日に異質な傷の男。それなのに、ボクサーの傷とチョコレートが結びつくことによって確かな詩情があるように思える。
しかし、
バレンタインデーするりほどきし蝶結び
は、いい句ではない。バレンタインの一言で済む言葉を17音使って言っている。バレンタインデーに残りの言葉がぶら下がって非常に重たい印象を受ける。
くらがりの雛人形に見られけり
は、平凡。
ベビー靴の片方ありし沈丁花
非凡。自然。漠然とした不安感。不安とは漠然としていればいるほど、非常に実感的だ。立ちこめる芳香が追い打ちをかける。

その問ひに応へずぶらんこ強く漕ぐ
類想句のたぐいはないと思う。俺の知るかぎり。それなのに既視感。映画や小説で多用される風景だからだろうか。ただ、こういうの好きなんやわ。心臓がモキュモキュする。

つばくらめ空のページを捲りけり
燕のくせに俺に新しい驚きを与えてはくれない。さわやかな印象は受けるのだが、そのさわやかさもやや使い古された感がある。
一方、
夕方の街は水底はなみずき
はなみずきの有無を言わせぬ説得力。そうだ夕方の街は水底なんだ。ことさら新しい感覚というわけではない。ただ、花水木を持ってきての見せ方。上手いんだ。

ゆく春の両手ひらひら一輪車
紹子さんはあまりいい顔をしないかもしれないが、俺に言わせると紹子さんは非常に上手い俳人である。そこらへんは第一回のロンドコロ対談でも述べているので引用する。

火尖
蟷螂のゆつくり歩む夜の柱  山口紹子 これは少し狙ったんじゃないかな?すくなくとも煙の句よりは

寛也
少し狙ったかもね と感じるね

この句の場合、狙ったって言うと悪い言い方みたいやけど、まぁうまく切り取ったという意味で尖はいい句に選びました
こういうのがええ感じだ ってのを知っていて詠んだ感じがします
冒険していない感じ

うん、俳句的熟練。俳句的臭さの元で尚且つそれをぎりぎりで抑えているのが夜の柱。ではないかな
そうそう すれすれを切り取ると面白いね
狙うんじゃなくて 切り取るというか 授かる(山頭火のように)

この句は蟷螂がゆっくりと「夜の柱」をあるいてんねん。俳人ならいいと思うやろ?という共感を得る狙いはあるな。また、そういう上手さ。
そうやねぇ 狙ったなぁという感じと 上手いなぁという感じ その差が妙やね

無理なく自然に届く句が多い、俺はそれを支えているのが上手さではないかと思った。例えば「はなみずき」の句がそうである。しかし上手さというのは、テクニック的なものでもあるから、表現が最大公約数的なものになると、一気に古くさく退屈に見えるのである。雛人形の句がそれであろう。


万緑のどこに不時着しませうか
とっても素敵な句!鉛筆魔女のサイクリングである。もちろん上手いだけの作者じゃないってことはこの句で十分わかるんじゃないかな。

旅といふ非日常にをり大夕焼
俳句教室的。

黒南風や寝違へし首持ち歩く
いいわぁ。説明すんのめんどくさいけど、説明します。これ、いい句やねん。俳人って何となくこんな評の仕方を繰り返してるような気がする。この句のよさは季語の斡旋と、「持ち歩く」の把握。

以下、私の好きな句と嫌いな句を織り混ぜて。

緑陰に水煙草吸ふテロリスト
秋扇聞いてゐるのかゐないのか
大文字遠くにありて火の匂ひ
いちまいの空干されあり野分あと
ひと夏の重さの簾はづしけり
桃匂ふ睡りの淵に沈むとき
チェロになり抱かれてみたき月夜かな
虫の音に包囲されたるふたりかな
無花果や言ひすぎしかとふと思ふ
縫ひ針の耳のきんいろ冬隣
空港の大きな時計冬ざるる
考へてをれば落葉の降りやまず
波郷忌や酸素あふるる空の色
魔女長きスカート蹴つて十二月
マフラーの中へ埋めし言葉あり
なにもなきこと美しき冬田かな
折れさうな日本列島寒に入る
戻れないやうな気がする雪催
寒晴や掃除機くるくる連れ歩き
水鳥の嘴のよごれよ春近し

半分以上が好きな句です。この絶妙なバランス

いいなぁって句が一つあると、よくないなぁって句が出てくるねん。
この絶妙なバランス。いい。

とても楽しく読みました。よい句集をありがとうです。




テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
書評 | コメント(0) | トラックバック(0)2006/11/30(木)00:01

もみあげの実、ふっさふさ

大学の近くの本屋は漫画と雑誌がメインの店ばかりで、一向に俳句朝日は見つからなかった。
漫画は尖も大好きで、多分うちの大学の子はみんな大好きやと思うけど、よくもわるくも周囲の本屋、大学の実情に合わせすぎ。俺等のニーズに応えすぎ。もうちょっと文芸書とか学術書とか商品のラインナップを大学の理想に合わせてもいいんちゃう?

結局京都駅近辺のでっかい本屋で購入。なんと俳句αもあったけど、今回は見送り。漫画買わないといけないから。ハチクロ9巻本日発売。

で、若手特集の内容。各結社から三人しか推薦していないのに、ここまでレベルにばらつきがあるとは。
手を抜いたのかどうなのかは知らないが三十代、二十代の作家で若手でなく子供としか呼べない作品が結構多い。
もちろん、上手い句もある。下手な句と上手い句の差が激しい。が、飛び抜けていい句はない。少なくとも今回の720句で歴史に残るような句は多分無い。それは各ページに一句ずつ載る有名俳人の若いころの作品(ほとんど代表句と呼べる代物だ。嫌がらせか?)と比べればよく分かる。

個々の句については明日取り上げていこうと思う。良くない句と普通の句、ちょっといい句は取り上げない。尖が選んだいい句について書く。良くない句はどんな素人でも、有名人でも作ろうと思えばいくらでも作れるもので、それについていちいち文字を重ねることは、今の俺には無意味。
人に俳句を教えるような立場になれば、駄目なところの指摘は大事かもしれないが、そうでもない限りわざわざ人の気分を害してまでするようなことじゃない。もちろん時には闘うけど。そして議論なら俺の歯素っ裸。


書評 | コメント(0) | トラックバック(0)2006/07/14(金)23:24

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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