最近自己管理ができていない。
ずっともやもやが体の中に居座っている。
徹底できてないからなのかなぁ。
明日が来るってのもいい加減慣れたし、同期が煙になりたいと言って止めないタバコも、
全部
浪費だ。
ずっと前、手持ちの未来の先っちょが光ってるのを見たときは嬉しくて、口をあけて待っていたんだけど、垂れ流しても垂れ流しても一向に降りてこない。
未来が光ってたんじゃなかった。ただ光に近かっただけじゃないか。
気付いてたやつは既にいなくなって、煙になりたい同期と電話をしている。
嵩が減った今、よじ登ったって届きそうにない。
よし、午後仕事頑張るか。
いつから俳句読者になるのか。
俳句では作者と読者を同時同義に扱うことが多いが、それは間違いである。
作者であることは読者であることを意味しない。
作ってれば読むことができるなんて、ありえない。
現実問題、深刻な読者不足。
読者を意識していないと書いたけど、意識しないといけない訳ではないのです。
多分、俳句を読んで俳句を始めた人は少ない!と思いたい!
だって少なくとも尖に限った話で言えば、俳句を作り始めた当初、古今の名句なんて目にしても別にいいとも悪いとも思わへんかったもん。
一月の川一月の谷の中 飯田龍太
なんて、なんなんこれ?ですよ。
俳句を読む面白さは名句ではなく俳句周りの逸話、エピソードから得たと思う。
つまり自分にとって俳句を読むということは既にあるものではなく、しばらくして後に意識的に手に入れたものであるということが言えます。
日曜も午後十時を回ると、平日と変わらない。
朝方
あまりに月曜に満ち溢れているよ。
不如帰白塗りお化け句をなせり
マンガン鉱の終日黒し小鳥来る
もう少し雪降れ攫ひやすくなる
よく言われている問題だけど、俳句と背景について。
例えば石田波郷の
敗戦日空が容れざるものあらず
について、その時代を知っている人に読まれたから残っているところがあると思う。
上のような句を尖が読んだって、きっと嘘くさい。
俳句が作られるものである以上俳句と作者の関係、俳句と時代の関係は、多分読者とのそれより強い。(句会で句が近く感じるのは句会に関係を強める機能があるからやろな)
総合誌とかの俳句のつまらなさは、読者が関係しないというところに端を発している気がする。
つまり俳句だけを楽しく読むためには、洗練された勘違いを身につける必要がある。
炎環一月号の先生の句が難しくって難しくって、辞書から用意して漢字の読みと意味を知った上で勘違いをしないといけないのだ。
最近眠りが深くて、まぁよく眠れているってことなんだけど、機能停止的な感覚が少し嫌。
ここ3日ほど俺が営業所の鍵をかけて帰っている。あの怠け者がこの変わりようですよ。
炎環新年会の後、仕事をがんばっている。
なんのためっていつかのため。頑張り慣れないと。
じゃないとこのままずるずる引きずられていく
炎環誌に恋愛俳句を投句しようかとか、考えている。連作で。
しかし恋の句は自分の恋愛が上手くいってるとできない。俳句にする欲求が湧かないからか。フィクションでいくか。
なんとなく甘っちょろい句を作って楽しみたい。
本屋の一角を占める品格本に機嫌を悪くしたい。
品格のある人は品格について云々しないでほしい。どこか諦めているのがよろしい。
ハイクブログのことが少し気になる。
ハイクブログ出身やからね。
でももう一年くらいログインしてない。
コメント欄でした句会が初めての句会だった。
炎環に誘われたのもハイクブログ上でだった。
あの時よりも俳句は楽しくなって太刀打ちできない感覚も強く覚えるんだけど、ハイクブログの方が俳句と誰かがつながっていたのかなぁ。
これから同人欄に句を発表していくだけでは続かない。
文章かな、やっぱ。
こちらから交信しないと。
初雪やこの一帯の染工所
着膨れてチャーシューマヨのおにぎり買ふ
着膨れて写真週刊誌肌色
今日は炎環の新年会で、遅くまでいたいので結構前に有給休暇を申請した。
結果取れなかったけど。
休みたかったら休む日の分まで計5枚の見積とってこいだって。
形成権だろ?という気持ちと会社なんてそんなもんという気持ちが相半ばして、
一応休みまでの4日間で5枚の見積に挑戦したんだけどダメで、休みたかった15日にアポを二件いれて
あきらめた。
新年会は楽しく、ものたりなかった。
朝まで話す機会がなくなって昼を楽しめなくなって、夜の電車にのりました。
またみんなにあいたいな。
鉄粉の貧しき臭ひ冬の空
立冬や幼くて笛吹いてをり
叩かれて浸されて晩冬の肉
リトマス紙赤く雪降る知らせかな
寒卵僅かに汚れゐし手紙
息白しトラックに積む花の箱
暖冬の雨タクシーの列をなす
冬池の日は二三日置きざらし
寒晴や人体展の断面図
暖冬や雲の固まり易き色
金属臭 溶液 鉄粉 傷 毛糸帽
木枯や
春昼に満ち足りてゐる崖の肌
冬の池皮の如くに
寒晴や
枯野へ及ぶ
枯枝と本能が繋がつてゐし
給湯器外は程よき暗さかな
息白きことまで載りて暗殺史
枯山に我が影長くならぬやう
俳句を続けていたいよ。
もう自分が納得できる句が出来なくても。
本を読む時間がなくなっても
少ししか知らない季語と扱いきれない言葉で。
空気は読みすぎると濁るぞ!
そんな感じで、2008年は
始まってました。