例えば昨日みたいな日記。あっ消したんですけどね、恥ずかしいから。
ただああいうの書くと俳句を作りたくなるよ。いつまでも内発性の詩因に頼るわけにはいかないけど、きれいな景色をみても直接作用しないんだからしょうがない。練習はしますけど
この練習ってのが
ばかばかしくていい。
仕事は早く帰れるようになって、しかし量が減ったわけではないので残務残務と週末に押し寄せる。
それでも、外回りを早めに切り上げれば、大体全部の店が開いてるうちに社を出られるのだから、少しはましに働こうと思う。
ただ契約が上がらないんだよ。
昼休憩から抜けるとき、めりめりと体を起こす。
雰囲気に流れがちの自分の俳句を変えるべく、しばらく頭を抱えてきましたが、なかなか納得できない。
思いつくまま書くのがやっぱりいいのかな。。
頭がかたい。
蛍のあとなぞる
脱ぐやうに降りて担ぎし黄のカヌー
脱ぐように降りて残りし黄のカヌー
黄のカヌー担がれてゆく
ヨット終へ湖は鈍さを取り戻す
蛍火や柔らかに耳ふさがれて
吸殻に蟻近づきて無関心
人の気持は常に一定ではありません。波があります。
二人いれば二人分の波があります。波が揃えば楽しいことは二倍です。波長があうということですね。
でも人の気持はだんだんずれていきます。知らないうちに位相がずれてきて打ち消しあってしまうこともあるんですね。何も聞こえなくなるような寂しさ。そんな中で、全部を信じ続けるのは難しいでしょう、お互い。
聞こえないので、言わないけど。
でも自然になんとかなる。
しかし、常々感じる。京都にはマナーがない。
特にエスカレーターが酷い。右か左かどちらに並べばいいのか俺もしらない。
なので、混む
あと運転がひどい。路駐もひどい。
なので混む
先日妹の誕生日で、家で割といい肉を食べたんです。でもね、量がすごく少ないの。うちは裕福ではありませんけど、食事に関しては食いしん坊万歳なのですが、折からの物価高で、遂に美味いものを腹一杯食べられない事態になりました。
牛肉も値上がり、穀物、油脂、乳製品、、魚介類、何でも今まで通り食べられるわけではないんですね。
そんな中で、件の料亭事件、そのまま次の客に出すのも酷い話ですが、そのまま捨てるのも、抵抗ありますよ。
食料難や飽食だけでなく何でも同時進行する世間です。
日盛りやカタンと烏屋根掴む
身のうちの骨の在処や星祭
広がりて雨の降り初む夏野かな
炎昼の入口宝くじ売場
ありだと思うんだよ。客に出した食べ物を別の客にだすの。
箸をつけてないものをそのまま無条件で捨てるなんて、俺はそっちの方が嫌だな。
もちろん、賞味期限内に定価の半額以下での提供で。
とにかく隠すのはよくない。
イラクのときから自己責任が嫌いだった。今は空気も嫌い。
音楽は割りと聞くほうだった。それを意外だと言われることもあった。
情報に疎い、という俺のイメージ。
人が人に持つイメージというのはどの程度、持たれる側の実情に即しているのだろうか。
あまり、本人の実態は重要視されない気がする。もちろん自己がイメージの端緒ではあるのだろうが。
それこそ、ほんの欠片のようなきっかけからイメージが作られ、あとはそのイメージによって更なるイメージが付けられてゆき、結局大部分をイメージでしか語られない、見られないのだとすれば、つまるところ自己責任とは他人の付けたイメージによる自己の圧殺なのだが、肝心の自己の介在している部分が端緒にしか見られないため、包括的な自己責任など、取りようがないのだ。この回収のしきれなさ故に、批判は中々収まりを見せない。
もちろん、人は人をイメージで判断すると仮定した場合の自己責任の話であり、他にも様々な場に自己責任論があるので、これだけでは説明がつかないのだが、どの場合においても自己責任論に晒されるということは、自己以外の圧倒的全てを一人で相手にしなければないので、もとより勝ち目などない。
世界や世間は
一個ドミノを倒しただけで、全部倒れてしまうドミノ倒しではない。だって善意は単発で終るし、俺に世界は変えられないじゃないですか。
世界はドミノ倒しであるはずがないのに、殊、事が人を突き落とす類の話となると、周囲はドミノぎっしりで息もできない。
そんな中では自分も一個のドミノに過ぎないけど、せめて、あるじゃないですか、意外と倒れないドミノも、残っちゃうやつも、それになりたいものです。
最初のドミノを倒した責任は倒したやつにあるだろう。間違いなく。しかし、勝手にドミノワールドに変わってしまった世界まで再建する必要はないと思う。
七月号掲載予定
春の夜のラジオの向きを決めてをり
巨大地下水脈昼寝あちこちで
はつなつのまへにならへの端つこよ
許されてゐること多し傘雨の忌
ががんぼの浮沈照明器具売り場
月曜日、初めての定時帰りします。なんでも、事務員さんの面接をするとかで、うちの営業所、ワンルームな感じだから、にょそにょそと男どもがうろうろするとだめなんだそうで。六時一分にタイムカード切るよ!
17日のバンプのライブを楽しみにしている。ハードな日程なので、柔らかなマンデーで助かる。
電車の吊革が人の手で、だらりずらりと垂れていて、驚いた夢でした。
地震の影響か、以前みた食物ドキュメントの影響か。
昔の記事は恥ずかしいが面白い。
今はとにかく、いいなと思える句を作れればとりあえずいいか。
御苑の昼寝覚め
全身を隈なくはたき昼寝覚め
バク歩む水脈ひく如き晩夏なり
大きな蚊天より下ろされて振れる
ががんぼの浮沈
ががんぼの沈む濃さ
ががんぼの浮沈照明器具売り場
日盛り
日盛りや上京の戸が少し開く
茶を煎る夜 合歓の花くみしやすし
心太ひとに神経つかひけり
巨大地下水脈昼寝あちこちで
夏蝶といふ遥かなる立眩み
口々に蛍袋を塞ぎけり
栗の花疎ましきもの死後その他
のような句はもう書けない。もう鮮度がもたない。
こういうのばっかり書き続けられるひとならいいんだろうけど、何かもう恥ずかしくてね。
だから
薬局や月の明るき紙袋
こんなのを軸に。
それでも俳句をやっているという恥ずかしさは常にある。
過渡期というのはやること大体失敗して、ろくなものはできないのだけど、
尖の場合、どこにも渡ることができないかもしれない。
だとしたら、今度の炎環合同句集はそういうものになるのかも。
七月号の句ができない。
まとまらない。何も形にならないので、とにかく次の記事で思いつくままやってやる
春の夜のラジオの向きを決めてをり
はつなつのまへにならへの端つこよ
牡丹の許されてゐる日なりけり
許されてゐること多し傘雨の忌
五月来る光を延ばすモノレール
地下鉄の手すりにリボン梅雨に入る
青嵐言葉剥がしてはくれまいか
紫陽花や過渡期と言はれ見てをりぬ
謝つてみて蛇を踏むやうなもの
廃熱や概ね遠き夏の星
夏は来ぬ泣けば鼻水とめられず
葉桜や自転車撤去されてゐし
それは無理逃げ水微分したとても
駱駝から向かうの駱駝まで春夜
夕立来る携帯電話切つておく