俳句の未来

 さて、佐藤文香については正直なところ現時点では批判すべき点が見当たらない。作品も文章も面白く、俳句を愛していて、俳句で生きていくという強かさも持ち合わせているし、俳句以外の世界にチャネルが開いていて、どう俳句を認めさせるかという点でもかなり意識的に活動していると思う。私にとっては、常に気になる俳人であるし、第一、第二句集も別に買ったりしてないけど、好きな句はたくさんある。
 以前、過去記事のあれやこれやで批判(2009-02-012009-02-012009-02-09)を試みたことがあるが、今や俳句は彼女にほだされてしまったというか、これからの俳句にふさわしい俳人に佐藤がなったというか、そんな印象すらある。前回ブログで書いた虚子、子規の話であるが、後は我々が彼女のフォロワーになりさえすれば、準備OKというわけだ。そのためのチケットとして「俳句を遊べ!」は非常によくできている。これは買った。面白かった。
 実際、佐藤文香が本気で動けば、相対的なものにまで弱まった俳句の価値観のいくつかは一気に確定してしまうだろう。方向性を見失っていた俳句を、子規の唱えた写生のように、あるいは虚子の花鳥諷詠のように導く力がすでにあると見ていい。写生、花鳥諷詠に続く、佐藤の著作頻出の「面白い」という価値観によって俳句は革新されるだろう。もちろんその「面白さ」は「俳句を遊べ!」を読めば分かる通り、画一的なものではなく、様々なものを認める方向に働くので、批判のし辛さという意味でもよくできている。
 おそらく既存の俳壇ともうまく付き合いながらも、佐藤が築く「俳句外部に読者を持つ新しい俳句圏」に人材の多くは集まるようになるだろう。こうなってくると、支持基盤構造がガラリと変わるわけだから現代俳句の続編ではなくて、未来の俳句と呼ぶべきものとなり、名実ともに佐藤文香によって俳句革新が成るというわけである。
 ただし、それによって打ち捨てられてしまうものがあるはずである。それは例えば俳句の「面白くなさ」であり、あるいは「停滞」そのものではないだろうか。虚子没後、俳壇は中心を失い、凪ぎの時代が長らく続いたが、ようやくその時代を所与のものとした若手が台頭し始め、むしろ、凪いだ今だからこそ、「俳句とは何か」「俳句の分からなさ」について余計な夾雑物なしに考えることができるようになってきたと言えるのではないかと思う。停滞しているように見えるときほど、その内部では新しい胎動がみられるというものだ。そしてその動きはまだ始まったばかりである。佐藤文香もあるいはこの停滞から生まれたのかもしれないが、彼女の強い個性が、そういった他の胎動を、例えば「面白く」なければならないと染め上げてしまうのか、どのように扱うか注目したいと思う。

まとまったような、まとまってないような、勢いだけの文章になってしまったが、最後に口直しに、当時すでに彼女に子規を重ねていた記事を紹介して寝る。当時とは状況も違うけど、中々面白いと思う。

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俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/30(月)22:53

現代俳句の続編

誰もが思っているかもしれないことは火尖も思うわけで、

要はそれを言うか言わないかだ。
私は凡そ、文章を書くための武器と呼べそうなものは持っていないけれど、
唯一、出来ることと言えば、本来誰でも出来ることしかない。
例えば冒頭にもあるように、言うか言わないかでいえば、言う、もう言ってしまう。
そういう、人のわざわざやらないことをやるという点で、
ぎりぎり俳句の世界に関わりたいとは思う。

前振りが長くなったけど、結局実は今回言いたいのは一言だけで、

子規を神野紗希、虚子を佐藤文香とした
現代俳句の続編がもう始まっているのではないか。
その中で淘汰されるものと称揚されるものの峻別を
再び全ての俳人が受けなければならない、という続編。
そして、それはおそらく選という形をとらず浸透するのではないか。

ここから先を書く力が本当は欲しいのだけど、
それがあれば、そもそもこんなこと書いていないよなぁ。

追記、
Facebookで、佐藤文香子規説が出てるので、佐藤文香は子規兼ねる方向で。確かにそんな気がする。

しかし、神野紗希については、そのフラットさで何か起点のような構造を押さえられている気がする。




俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/29(日)16:45

文庫川柳所感

少し前からTwitter上で文庫川柳なる遊びが流行っている。

文庫本のタイトルを並べて5・7・5の並びにするという遊びである。
尖もやってみたが、組み合わせにより意外な世界が開けて、なかなか楽しかった。

20160515075843113.jpg 

本のタイトルというのはいうなれば、季語のようなもので(なんでも俳句に引き付けて考えてしまう)
その本の世界を内包している。それが、意外な並びで、そのイメージを揺さぶられたり、裏切られたりするところに、俳句的な面白さがあるように思う。実際に何人かの俳人は、取り合わせの手法で本を並べていた。
私は文庫の殆どを京都の実家においてきてしまったため、作品としてはウケ狙いに走るようなものしかできなかったが(それでも意外とウケてうれしかった)。本当はもっと、「こんな本も読んでいるんだ」というところも含めて、表に出したかった。
そして、それこそがこの遊びの隠れた眼目なのではないかと考えている。蔵書というのはプライバシーの一要素であり、少なくとも私は理由なく公開したりしない。しかし、そこに遊びの要素が加わると、元からあった「持っている本を見せたい、できるだけ私が持っている尖った本や、あまり知られていないけど面白い本を見せたい」という欲求が上手く正当化されるのだと思う。
実際、文庫川柳の多くは、そういったセンスのある本で構成していることが多いように思う。
本を所有する喜びをある意味嫌味なく手軽に表明することができるこの遊びは、中々抗しきれない魅力があるように思う。

今回、「タイトルだけを並べて遊ぶことに少々作者へのリスペクトを欠くのではないか」という意見にハッとさせられ、少し自分の気持ちをまとめてみたのだが、ある程度うまくまとめられたと思う。
もっとも、リスペクト云々については、それぞれの感じ方によるものなので、それを批判したり、否定したりする気持ちはない。ただ、そういった誠実な怒りに対して、スルーすることもできず、こちらも丁度気持ちをまとめる必要があったので、書いてみたということになる。
「こういうのもリスペクトなんだよ」と言うことはできないことはないが、自分の例をみても分かる通り、その主張を信じてもらうにはやや無理があることは否めない。つまり、リスペクトを欠くと思うと言われれば素直に受け止めないわけにはいかない。しかしながら、作品を購入し、読み、蔵書し続けている読者としては、十分許される範囲の遊びではないかと考えている。



立ち位置 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/15(日)09:58

三冊子ひらいても頭振らない

https://twitter.com/ryusho0510/status/727155832262025216をつくるべく

色々やってるうちに思いついてしまったからやってしまった。
ただの替歌ですが、俳句とhiphopの共通点が少し前話題になってて、そういうの意識しながらやってみたらかなりはまった。あるあるというよりか、ステレオタイプを大げさにネタにするみたいな感じになったけど、別に真面目な話ばかり書いてもしょうがないしたまにはこういうのもいいかな。





俺は俳人 有望な若手俳人 口語?「高校生らしい」手口
袋回し句会で練習してるし ディベート合宿研究熱心 
七八題くらいビシバシ措辞合わせる 駆け上がる全国大会 
見てみなこんな破調も適当にできるぜ 俺にみんな旗上げ最優秀賞

ハァー コイツなんも分かってない 季語の本意掴んでない
句会で見かけない バトル勝っても師系で勝てない 
吟行足りない 仏閣寄らない 結社入らない 
総合誌買わない 句集読まない 三冊子ひらいても頭振らない

よー言うた! お前の言う通りや 
大丈夫 俺の言う通り直したら間違いない 
ちなみに先生の句集ノルマ20冊な 
句会では皆売れよ 俺の披講見とけよ ほんで連衆は大切にせぇよ 
あと風土にはちゃんと挨拶せぇよ

fucked up クソなしがらみ 俺にはそんなモンはいらない 
同人会費、結社の上下関係とかマジでダサい 
Freeの10句作品 週俳UP フレッシュな自由律でkill かっさらうProps 
日本語落としこむ感性のflow

ほら やっぱ若手はまだそういうとこ 甘いから教える大人の勝ち方 
月一ペースで出てなきゃ本部句会 返事なら拝読直後に 早さが命です 
知名度無いなら評論書き バトルもネットの上じゃ怖くない
俳壇のシーンは遅れてるから勉強会で火をつける 小物に噛みつきゃ 怒られない

仕事定年退職で俳句 けっこう本気 
入会直後の初句会じゃ やっぱ初心者扱い
つくとかきれとか分からない 若手褒められすぎ 
でもプレバト見てればそれなりに おまえらよりはマシ イェー

私はそんなに句歴はないけどセンスは人一倍 
世界観深い 着信は不在 欠席投句したい 
新興俳句の文学メンタル Google検索 他ジャンル見学 
露骨なセクシャル こういう主体もある意味テクニカル

御句で伝えたいことがあるんだ 無季は俳句じゃないから 
いつも感動してるから 季語に託して詠うから 
Ah 美しいこの文化 これからも守り続けるよ

そんな糞みたいな言葉に耳貸すな 馬鹿な選者に甘えんな駄句が 
句会オタクも主宰者気取りも入門書かぶれも甲子園崩れも
どれもお子ちゃま 相手の教室 俺は知ってる謹呈されてる 全部分かってる 
悟ってる 高いとこまで句集積んでる

そんなにかっこいい遊びがあるなら今すぐ呟いて拡散しないと 
誰も俺らの面白い俳句に気づいてくれないぞ
俺は文章も書ける イベント仕掛ける 本屋も回る 解説もできるとアピール 
思い切ってやるから注目と賞賛を浴びる

メンドクセー マジどうだっていい 人は人 題は題 
互選の様子見ばかりしてるヤツはダサい くだらない 
みんな同じじゃつまらない

まーまー 要するに みんなちがって、みんないい 
みんなちがって、みんないい みんなちがって、みんないい

--------------------------------------------------
個人をモデルにしたかどうかも原曲準拠の
考え方でやってみた(http://miyearnzzlabo.com/archives/35201)

せんでいいことするのは、この歳でさすがにどうかとは思うけど
正直、三冊子と「風土にはちゃんと挨拶せえよ」は、ちょっと笑った。




未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/05(木)18:18

子連れ句会顛末③止メ

被講と選評は、ところどころで休憩を混ぜながら行った。
その間に赤ちゃんを抱っこしたり、覚のおむつを替えたりした。
オタマトーンの演奏も試みてみたし、四ヶ月ちゃん、九ヶ月ちゃんは眠らされようとしていた。
九ヶ月ちゃんは程なくして寝た。

選評について、例えば、俳人同士の句会であれば、つきすぎや、季が動くなどの指摘については、
なんとなく外部に共有のデータベースがあるのを感じながら話が通じるというのがあり、
今回についても自分はそういったことについつい頼ってしまっていて、
それを抜きにしたら自分の評は成り立たないのだなということに気付いた。
そして、やはりそういったものに頼らずに句を読んでやろうという選評に惹かれた。

結さんは、句会も俳句も初めてとは思えないほど、人を納得させる選評だった。
言葉の印象や表記によって受ける印象について句から読み取れるものは全部読み取ろうとしていることが分かった。
歩さんは、もともと詩で活躍している人で、私と選が被った句の評が正反対で、大変刺激を受けた。
「こっちからも光を当てることができるよ」というか、俳句の詩としての見え方を教えてくれたと思う。
感受性を最大限拡げ、何かを俳句から得てやろうという強さがあった。
まどかさんは久しぶりの句会で、私はこの人のいる句会はやはり好きなのだと思った。
裕美さんは子連れの企画当初からずっと賛同してくれて、自分と同じようにこの句会に期待して、
楽しみにしてくれていた。それがとてもありがたかった。
葉月さんは、自分のつたない司会をいろいろ助けてくれた。
また、俳句に染まっていない部分を抜き出しては議論を提供してくれていたことが大きかったと思う。
付き添いで来てくれた隆司さんは、いろんな子の相手をしてくれて、すごく助かった。
もしよかったら俳句も読んでみたいです。

ともすれば、選評を捌いていくと言ったように、やや退屈な句会もあるなかで、
この句会の楽しさは、個人個人の詩質の違いが織りなす、ある種の緊張感によって
成り立ってたように思う。句会の進行自体は超緩めで、中身は濃かった。
帰りは子供たちのちらかしたおもちゃを片付けて、16時すぎごろお開きとなった。

第二回に向けての反省点としては、
・句会場はあの人数でも和室二部屋とっちゃいましょうか。子供の遊びスペース確保できるし。
・次回は当初の企画段階で話していた、子守担当を一人置いてみますか?ちょっとこれはFacebookで相談ですね。

新規の参加者を募りつつ、またこのメンバーでお会い出来ればうれしいです。

あと、やってみたら意外と普通に句会でした。
是非ほかの地域にも広がればいいなと思う。
ノウハウ的なものは偉そうなことが言えるほど貯まっていないけど、
もしよろしければご相談ください。  


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/04(水)00:49

慎重

このブログは自分の思っていることを
それなりに正確に書いていると思われているかもしれません。
自分もそれなりに正直に書いているつもりではありますが、
中にはうまくいかないこともあります。

書いてから、気持ちと違うことに気付くこともあるし、
帰りの電車の混雑のため、正確に書くより、完成させることを優先することもあります。
場合によっては興が乗って、気持ちが大きくなったときに書いたものなどは
あとで気持ちが収まった時に、おいおいおいと思いながら直したりします。

俳句でも文章でも外に向けて発言する場合に
備わっていなければならない慎重さが今一つ足りないようです。

今日、実家の書棚でまだ俳号を付ける前のコピー句集を掘り当ててしまい
そのマジモンの黒歴史っぷりにうちふるえております。
こういったことをする一方、つねに振り返っては後悔ばかりしている気がします。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/01(日)19:54

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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