もや

政治家ではないので、言ってしまったことや書いたことには責任が伴う。
軽々に失言だったとか、撤回するなどと言えるものではないし、言ったとしても、何の解決にもならないと思ってる。

しかし、軽はずみに出てしまった言葉がその軽さも含めて、人に深く刺さってしまったときなどは、思わずその場を離れようとして、冒頭の間違いを犯してしまうことは、ある。
だから、取り消したいのは、もはや最初の発言ではなくて、そこから逃げようとした発言の方なのだが、結局もう発言してしまってるので、取り消しを宣言したところで、何の解決にもならない。

こうして、冒頭にループしてしまい、解決すべきことに何も触れられないまま、時間が経ってしまう。

私には慎重さが完全に欠けてて本当に嫌になる。
そのくせ、平常運転で日常を過ごしているのだ。

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雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/09/07(水)19:17

句帳 詩歌トライアスロンに向けた詩の練習

推敲中
ほうたるのための焦点距離だつた
倉庫の脆き灯
妹 胡桃割るやうに
海鳴りを記憶せよ
銀漢の記憶薄れて
無花果を 捥ぐ
風のめくりし本の上
無花果をめくる指
無花果を裂く
秋晴れの立川へ行く準備する


詩の練習
向日葵に話してきたことを
今ここで再生してあげたくて、
必要な約束を交わしていく
中には戸惑ってしまうような眩しい色や
音の細かな反射、水についてあきらめる二つのこと、
全て丁寧に塗りつぶしてもらった
・・・・

それっぽい、それっぽいかもしれないが
それっぽいだけではだめだろう
しかし、まずはそれっぽいものを作りきってからだな。
それは、なんでもそうだろう。

ごはん食べよう



句帳 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/09/04(日)16:36

かなり品のない自意識の空振りについての浅い考察 

浅は尖なり、こんにちは火尖です。
俳句甲子園は今回初めてある程度追うことができて
とても満足しています。
特に、家政学院の話題句については、面白かったですね。
週俳でも取り上げられているし、随所で考察がなされているから
もはや尖が出る幕でもないのだけど、みんな深い所に行ってしまって、
浅瀬の火尖は取り残されてるから、印象論や技術論を中心に
パシャパシャ水遊びする感じです。

さて、その、

利口な睾丸を揺さぶれど桜桃忌

については特に、2016/08/28の週刊俳句、福田若之の
利口であることも睾丸であることも桜桃忌であることも、さくらんぼの形も、
文の構造も、すべてを、太宰の「桜桃」を読み解くことで、
人間の「根底的な悲哀」に迫っていく、迫真の文章だった。
まだ未読のひとは、すぐにでも読みに行くと良い。
そして、別に戻ってこなくていい。

これから、始めるのは知識のない火尖が、
つまり、下品な自意識をぶら下げたある男が受けた恥ずかしさについてだ。
太宰の知識は無くて構わない。桜桃忌が太宰の忌日であるということさえ
知っていれば十分だ。

まず、「利口な睾丸」について、家政学院が試合で先に出した句のなかに、

船員の常に利口や小望月

という句があり、自解で、船員を揶揄したと発言していたので、
男性器に利口などとくっつけられれば、これも揶揄と捉えて
おそらく問題はないだろう。利口についての詳細な評は
週俳で十分語られているため、ここでは割愛する。男女ともに目を引く措辞だが、
特に男性にとっては、当事者だけに、尚更注目してしまうだろう。
「小生意気な女学生(この句の主体としては適切だろう)」に、シンボルかつ急所たる睾丸を揺さぶられるという
想像をした者は静かに手を上げろ。
そこで君たちがどのような感情を持ったかは、今は問わない。
静かに手を当てて今の気持ちを大切にすればそれでいい。
大事なのは、次の「揺さぶれど」で切れていることだと思う。
逆説で切れているので、次に来るのは俳句的な経験でいえば、
おそらく、うんと飛躍させた季語が来るというのがセオリーであり、
もう勘弁してよという、男性陣の願いでもある。
しかし、出てきたのは

「桜桃」忌、さくらんぼである。

逆説でつなぐかに見せかけて、ド直球の急所狙いなのだから、
急所で急所を狙われた会場のどよめきたるや想像に難くない(ちょうど句の発表の時はSara句会に行ってて見れなかったのです)
そのとき具体的に浮かぶ景は、サクランボのような睾丸である。不可避。
そして、ここが、本当に作者の優れたところだと思うのだが、
桜桃と出しておいて、実はサクランボでもなければ、現実のモノですらない、
そう桜桃忌なので、当然忌日で、文豪、太宰治の命日なのだ。睾丸と本来まったく関係ない。
つまり、飛躍と見せかけて直球、と見せかけてセオリー通りの飛躍系季語である。
読者の読みの自意識を自在に利用したはぐらかしに
火尖はまんまと引っかかり、素直にすごく驚かされた。恥ずかしいあけすけな想像をしてしまった。
このような感情の揺さぶりを、句を読む一瞬で三回、
読者を打ち込む凶暴な句を私は急には思いつかない。ないかもしれない。
ボクサーに例えたほうが早いくらいだ。それぐらい面白い句だった。
そして、福田若之の評を読んで、さらに、この句のファンになった。

最後に、かなり品のない体で評を書いてしまって、
作った方に、無用のストレスを与えてしまったとしたら本当に申し訳ない。
しかし、できる限りこの句に驚かされたことを正直に書こうと決めたら
こうするよりほかになかったのだ。
品がないのは火尖の方なのだ。悔やむ他ない。

しかし、俳句に品とかを、むやみやたらと求めたがる奴の心根の方が
正直、つまらないと思うし、この句自体は、とても面白く読めるが、読み手の自意識を抜いて、
俳句表現の歴史や枠で捉えれば、良くも悪くも収まっている句だとは思う。
なので、この句が作者のこれからの人生に必要以上に重石にならず、
作者の青春時代に生まれた、一つの成果として、ちゃんと輝けばよいなと思う。




俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/09/04(日)09:00

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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