気負いすぎた

前記事は気負いすぎたな。しかし、打算面から言わせていただくと、スタイルを明確にしてキャラ立てする。これが俳句などにおいてどれほど有効か、おわかりか?

正直、実感したことがないから分からないんだけど、分からないけど、有効なんだよ!多分!

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雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/12/09(金)20:44

慣性の国

人間の適応力、対応力、忍耐力とは本当に大したもので、どんなに酷い会社であっても働く人がいるし、だんだん生活が苦しくなってもすぐに死んだりすることはないし、今までできていたことや大事にしていたことを捨てても環境の方に合わせてしまえるんですよね。むしろ、それができないと批判の対象になります。

大体の人がすぐに慣れることができるし、やり方さえ間違わなければどんなに環境がひどくても、むしろそれをありがたいとすら思い始める。特に民主政を採ってる社会ではその選択は自分たちが自身に下したものとして社会を規定するので、人間の心理として、間違った選択をしたとは思いたくない。この環境は望んで手に入れたものなのだと思いたいのだと思います。その結果、先程も言いましたが、まだ慣れない人、慣れることができない人、異を唱える人を、敵視し排除しようとする。動物としての本能なのかもしれませんが。

きっかけを作っていじめる。電通を批判した社員を戒告処分にする。有給を取る人の陰口を言う。保育園に落ちた人の問題提起を言葉の問題にすり替える。これらは多分同一線上の出来事で、さらに今起きている政治上の問題にも同じ構図が当てはまるものがたくさんあると思います。

ところで、私は俳句を作っています。人とは違うもの、今までなかったものを作ることで、やっと自分の存在を確かめられるタイプの人間です。新しくできるものは、今までなかったものでないといけないと信じる人間です。俳句でなくて、詩でも短歌でも何か新しいものを作ろうという人は多分そういう人が多いのだと思いますが、本当に新しい詩を作れる人間は、決して、慣れる側の論理に身をおいたりしないということです。正直、大した評論も大きな賞も受賞したことはないですが、「慣れないでいることを恐れない」この一点が、自分の俳人としての可能性を信じる唯一の拠り所であり、自分の信じる強さだったりします。すごい評論がかければそれを自信の拠り所にしたいところではあるのですが、そんなものないしな。

恥ずかしいですけどね、こういうことを書くのは。

でも大事なんですよ。自分にとって。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/12/09(金)20:27

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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