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投石前夜劇

さて、炎環評論RONDOKOROの話です。

今年の夏、炎環の若手、中原寛也さんからきたメールがきっかけです。「炎環の若手中心で俳句批評できる会をつくらんかい?」
みたいな内容でした。
尖は多分
「いいねーやろかー」
と返しました。

こうしてロンドコロは誕生したのじゃ!
最初は炎環若手会(仮称)(仮称というのは安直なほど、本格的だなと思う)という名前で進めていたんですけど、第一回会議で、正式に炎環評論RONDOKOROと決定。
他の名称案は記録が残っていないから忘れました。たしか、お互いあまり良くなかった。
ロンドコロは尖の発案で、最初は漢字表記で「論所」でしたが、寛也さんのもってきた炎環評論と合わせて使うことを決め、論論と重なると重たいからローマ字表記でRONDOKOROとなりました。最近は炎環評論ロンドコロの方が良かったかなともおもっていますが、どちらも一長一短です。音が気に入っているので、たいした問題じゃないです。

ロンドコロはHPに書いてあるとおり、
俳句作品の相互批評相互向上を目指します。
最近の俳句についてですが、作るだけ作ってほぼ全部捨てられている気がします。多作多捨という意味ではありません。コンビニのおにぎりです。廃棄処分。
つまり、すごい読み手がいない。
もちろん尖は最近という時代しか直に知らないという点、直に知っていること以外では伝聞でしか知らないという点、そして直に知っていることさえも危ういという点を考慮しないといけないのですが、とにかくそう感じます。肌で!(ここが結構重要)
で、そんな時代だからこそ俳句を読もうじゃないかと。
尖はすごい読み手ではないけれど、三人寄れば文殊様ですよ(一人たりない!)。
そして佳い句を見つければ非常に意義深いんじゃね?ってことで、始めた討論会なんですが、成功しているかは心許ない。
話し合いという「理」と「理」の反応で、佳句や記憶に残る句を発掘認定することができるのか。
佳句というのはしばしば「ただ、良い。」としか説明できないことがあります。その俳句への共鳴を共通のものにできるかどうか?それを外部にまで広げられるか・・・?まぁ俺らの口車しだいかな。かなり面白いことになるかもしれない。誰かに選ばれることでしか名句は生まれませんやん。

ロンドコロ句会は、今のところ二人句会です。二人だから匿名性も何もなし、句を出してやいやい言い合う会、略して句会です。お互い句の性質がかなり違う。尖の把握している限りでは、尖は理を隠す方向をめざし、寛也さんはそもそも理を入れない方法をとる。だから、ぶつかるとかなりおもしろい。そう、単純に面白い。
混ざるのか、より拒絶するのか、とにかくそれが相互向上ってやつなんしょ。相互理解とは一言もいってないあたりが、また頼もしいじゃないですか。


檀の実午前十時でありにけり  中原寛也

桃食ふや何に背きしかは知らず 西川火尖

テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

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