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愛の有用性について

「お金は無いけど愛があるから大丈夫」
とか、
さらに進んで
「お金なんて要らない愛があるもんっ!」
という場面を、歌やドラマや漫画や小説でこれまで何度か見せられてきた。
その度に、「いや、お金はいるだろ」と内心思ったりしたものだが、
その実、心のさらに奥では、やっぱり大事なのは愛、なのかな・・とも思ったりした。

さて、現実であるところの今、
まさに一行目のような状況に我々が陥りつつあることを
認めねばならない。

そこで、
愛の有用性について、妻と議論してみた。

実際に愛があればどの程度、何が、大丈夫なのかについてである。

しかし、シェイクスピアからAKBまで洋の東西、古今を問わず、
よってたかって愛に対して、不確かだの確かだの、
永遠とか一瞬とかもう評価がめちゃくちゃの
ばらばらの言いたい放題である。
こんな状態で有用性について語ったところで、J-POPの域を出るまい。

そこで愛の有用性に先立って、愛の定位性についても、議論した。

およそ10分ほどの話し合いではあったが、
意外にあっさり結論めいたものがでたので、
備忘録程度にではあるがここに記そうと思う。

まず、愛と一口に言っても、神の愛、自己愛、隣人愛、愛鳥週間と様々な物事に
組み込まれ、それぞれ独自の愛の体系を築いていることから、一律に評価をすることが
困難であることが妻より主張された。
そこで妻は、夫婦生活における愛に対象をしぼり、それを信頼と親愛が
密接不可分に結びついたものとして私に提示した。

信頼と親愛だけではアンパンマン※1のように寂しいが、
妻の主張は概ね同意できるものである。
しかし、であるとするならば愛とは、信頼と親愛の「結果」に過ぎないと言えよう。
つまり、愛は確かにあるが、それは信頼と親愛を積み重ねてきた過去に対してのものであり、
未来を担保するようなものではないということだ。
とは言え、経験則上、「愛」が未来に対する不安に打ち勝つように感じることが
まったくなかったかというとそうではない。
むしろそれほど珍しいことではないようにも思える。
しかし、そのことも愛を結果として捉える立場からは次のような説明ができる。

つまり、愛を実感できるほどの信頼と親愛の実績は、
過去から未来への意識・行動上の強力な慣性の法則となって未来に対して影響するのである。
それを人々が愛が幸せな未来を保証してくれるかのように勘違いするのである。

本仮説における結論は以下三点
①確かな愛は存在するが、過去に対する結果としての確かさである
②結果であるが故に、今後の行動如何によって著しく変容する性質を持つ
③過去の実績が未来の愛の期待可能性として顕れる

そして、本題の愛の有用性についても、上記仮説から演繹できる。

まず①より、愛があれば大丈夫ではなく、大丈夫だった結果愛がある、
そういう意味ではみもふたも無いが、愛それ自体に有用性はないと言える。

②、③、金がなくなってもしばらくは持つ。なぜなら愛があるから。
しかし、その後はもう一度金も愛も貯めねばならない。

妻に仕事をなくし、貯金残高が0になってからどれだけ愛でもつか確認したところ、
0になる前に行きたい場所に旅行に行って、それで、もどってきたら
バイトでもさがして一から楽しくやり直そうとのことだった

一緒に作った仮説を根底から覆して、一緒に生きようということなのだと。

わからんね、結局。

(※1愛と勇気だけが友達のパン)

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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2012/12/02(日)22:59

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kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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