交換2

使えていなかったのです。
つまり、それは、それがなくなれば
俳句を作る理由がなくなるということです。

歳を重ねて、不満が減るかといえば、むしろ逆で、
目減りした若さと一向にたまらない経験地ではいかんともしがたいものばかりです。
では、それが俳句になるかというと、なりません。
もはや俳句にしている場合ではないんですね。
愚痴をこじゃれた俳句にしている暇があるなら
稼がなきゃならんし、子供をそだてないといけない。
人生の趨勢が大方決まってしまったからこそ、
そこから離れるわけにはいきません。

俳句の題材として、生活や自然を直接見つめることを
俳句を手段としていると否定しておいて、
自分のやっていたことは悩みや不満をころがして遊んでいただけで、
(それを貫くというのならそれはそれで一つの見識と言えるのですが)
いざ、悩みが目の前の課題として迫ってくると、余裕を無くして
俳句にしている場合ではないとほざくのですから、始末に終えません。
では、稼ぐこと、子供を育てることを、俳句を通して見つめられるかといえば、
忍耐が足りず、いまいち形になりません。

モニターの光に背き朝寝せむ
三月の笑ふとき子はタンバリン

不満と真正面から向き合うしかなくなった今、
俳句へ逃げることはもはやできなくなりました。
そして、俳句ができなくなった私は今や俳句から逃げて
生活を叶えています。

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雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2014/09/07(日)18:00

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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