スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告--/--/--(--)--:--

回廊弁当

先ず昨日の誤字に関して。
日記だから少し大げさにかいたけど、もう大丈夫です。
石も投げられていません。だいたい20句も出したんやしその句が載るとは思えない。それに、その句が最初に掲載された雑誌には正しい表記で出してあるし。
しかし、言葉をのみ扱う俳人が、その言葉を間違うなんて。
本来なら断筆も考えるべきなんだけど、尖はそこまでホンモノじゃないんでしょう。断筆は嫌だ!死にたくない!と思ってしまいます。
死にはせんやろ。
断筆の代わりに、自分の手から言葉が離れないうちに、自分にできることの全てをやろうと思います。

本題。

下手な句に対する評価として主に
・散文的
・説明的
・季重なり
・切れ字併用
・理屈
・分からない

などが使われます。確かに散文的な句

写経して心豊かに冬ごもる  (俳句の入口 藤田湘子著 p117)
や、
花冷や補聴器強いられ我淋し  (同p119)

のような理屈っぽい句は読んでいて楽しくないですし、内容も主観的すぎて、「そんなん知るか!」みたいな気持になります。こんなん句ではあっても俳句ではないやろと思ってしまう。
しかし、散文的や理屈的だとしても佳句や名句として認められている俳句もあります。

憲兵の前で滑つて転んぢやった  渡辺白泉

海に出て木枯帰るところなし   山口誓子

1句目は散文的ですし、2句目は理屈です。

つまり、散文的や理屈的という「評価」は悪い句について初めて効果を発揮するわけであって、駄句と佳句を分かつものというわけではないということじゃないすか?
だとすれば、いい句とはいったい、どこがよくて、悪い句とはいったいどこが悪いのか?それを理論的に判断する方法はあるのか?

俳句を言葉で説明するという行為の限界は案外近いんじゃないか?

だとすれば、言葉以外の方法を考えないといけないかもしれない。
今、尖が考えているのが、俳句による俳句の評価。
同じ季語や同じ文体の名句を物差しとして使うことができるんじゃないか?
どうだろう。それでも判断は主観に頼らざるを得ないとことろが問題だけど、しかし、文芸一般を客観的に判断することが正しいとも思えない。少なくとも、主観を補うものが「名句」という「共有概念」であるところに、この方法の強みがあると考える。

スポンサーサイト

テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2006/11/01(水)13:40

コメント

コメントの投稿


秘密にする

«  | HOME |  »


自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

Twitter...A

nishikawaksn17 < > Reload

火尖箱(お知らせ)

12月
現在迷惑コメント対策のためURLなど書き込めない状態になっています。ご迷惑をおかけします。

打率

探検する

探し物はなんですか

月刊火尖

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。