政治俳句をめぐるメモ

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ
という俳句が公民館の月報に掲載拒否されたという一昨年の事件について
今さらながら、政治社会と俳句の関わりようについて思うところがあるので
思い当たるままに書いていこうと思う。

まず問題の記事
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「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ俳句を、さいたま市の三橋(みはし)公民館が
月報に掲載するのを拒否したのは憲法で保障された表現の自由の侵害にあたるなどとして、
作者の女性(74)が市などを相手取り、月報への掲載と、掲載拒否で被った精神的苦痛に対する
二百万円の損害賠償などを求め、二十五日にさいたま地裁に提訴することが分かった。 

 掲載拒否から間もなく一年。公民館の判断を支持した市や市教育委員会の対応の是非が、司法の場で争われることになった。

 訴状によると、三橋公民館では二〇一〇年十一月以降、地元の俳句会が会員の俳句の中から選んだ一句を月報に掲載。
「梅雨空に-」は昨年七月号に掲載する一句として句会で選ばれたが、公民館は昨年六月二十五日、
「世論を二分するテーマ」として不掲載を句会に伝えた。

 訴状は、月報の俳句コーナーについて「住民が学習成果を発表する場(表現活動の場)として公民館が
句会に提供してきた」とし、掲載拒否など内容を規制できるのは「規制目的がやむにやまれぬ公共的利益のため」で、
かつ「規制手段が必要最小限度」に限られると指摘。公民館は世論が二分していることを理由に
掲載を拒否しており、本来の規制目的・手段を逸脱、表現の自由を侵害したと主張する。

 また、趣味のサークルの表現活動に突然、公権力が介入したとして「民主主義の根幹を
揺るがしかねない重大な問題が潜んでいる」と説明。

 この問題でシンポジウムや討論集会が開かれるなど社会的関心が高く、自由な学習や
表現活動の場が失われかねないという国民の危機感の表れだと訴える。

「見過ごしてはいけない」

 「一年たったが、ほとんど何も変わらなかった。このまま私の俳句がなかったことにされるのは許せない」。
作者の女性は本紙の取材に、訴訟にかける思いをこう語った。

 女性が「梅雨空に-」の句を詠んだのは昨年六月上旬。東京・銀座で集団的自衛権の行使容認に反対する
女性たちのデモを見かけ、親近感を覚えたのがきっかけだった。
「自分と同じような女性が声を上げていたのに心を揺さぶられた。それで自然に詠んだ句で、
当時はこんなことになるとは…」と振り返る。女性は俳句が掲載拒否されて以降、市教育委員会の定例会や、
掲載を求める市民の集会に足を運んできた。そのたび、絶対に掲載を認めようとしない市教委の対応を目にした。

 「私はどこにでもいる普通の主婦。思ったことを発言することくらい当然の自由と思っていた。けれど、そうではなかった」

 訴訟になると「家族や周囲に迷惑がかかるのでは」と迷いもあったという。
それでも「自由に発言したり、表現したりできる今の社会は先輩方が必死に守り、育ててきてくれたもの。
私がこれくらいいいかと、見過ごしてはいけない」と最後は決断した。

 「平和を祈ったなんでもない私の句が、なぜダメと言われなければならないのか。このまま納得はできない」 (岡本太)

 今年一月一日から本紙朝刊一面に掲載している「平和の俳句」は、選者の金子兜太(とうた)さんと
いとうせいこうさんが昨年八月十五日の本紙朝刊で「梅雨空に-」の掲載拒否などをめぐり対談したのがきっかけとなっている。

東京新聞 2015年6月23日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015062302000122.html
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これに対し、掲載拒否が妥当という意見としては、概ね、行政の裁量の範囲内ということで
一致しているように思う。それに加え、そもそも掲句の品質が載せるに値しないほど低いという意見も
インターネット上では度々見られた。
裁量の範囲かどうかについては公民館の関連法案や司法の判断にゆだねられていることなので、
俳人として口を挟む意義はあったとしても実質的なメリットはないように思う。
裁判所の判断待ちだ。
しかし、作品の質が載せるに値しないほど低いという意見については、俳句側からのアプローチが
可能だと思う。

この句は「梅雨空に」に俳句としての含意があるにはあるが、あまりにも反戦平和の
画一的なパターンが見えてしまい俳句としてはお世辞にも優れているとは言えない。
何回か前の記事で言及した「優先席守ろうね俳句」と同じものを感じる。
なので、不掲載は妥当、とはもちろんならない。
たまたま見かけたデモに親近感を感じ句に取り込んだという経緯からして、
普段から普通の俳句おばあさん的な句を作って仲間内で楽しく遊んでいたのだと思う。
たまたま互選で点が入って、公民館月報に記載されることになった。それだけだったはずなのだ。
なので、すごく俳句が無防備で、ケチをつけようと思えばいくらでもつけられる。
公民館の月報に載るって言っても、句会で選ばれなかったら載らなかったわけだし、
載ったとしても公民館の月報レベルで、そもそも批判にさらされて耐えられるような
仕様にはなっていないのだ。
おそらく作者にとって、掲句はこれまで月報に掲載されていた他の句と何ら違いのない句なのだと思う。
だからこそ、行政の判断に憤りを感じて訴訟にまで発展したのではないだろうか。
しかし、句の防御力があまりにも低すぎて、不掲載で却って衆目に晒され、2chやら心無い政治家やら火尖から
通常だと考えられない罵声を浴びる。
これは相当かわいそうなことなのではないか。
(それを考えると優先席俳句に対する私の取り上げ方もひどかった。ごめんなさい。)

京大俳句事件のような検挙投獄がこれから俳人たちを待ち受けているなどというつもりはないが、
ただの俳句趣味の老人が句を発表するのに、政治に忖度しなければなられない時代に
なっていることに、そして、それが民主主義の時代の出来事であることに、官憲によって行われた
京大俳句事件よりもある種の醜悪さを感じるのである。

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テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/01/17(日)18:33

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kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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