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政治俳句をめぐるメモ スタンス

さて、火尖は俳句に政治を取り込むと言いました。そこで、そのスタンスを整理したいと思います。

俳壇史を紐解けば、一時聖戦俳句など、
体制におもねる句を作っていた時期はありましたが、基本的に俳句は権力に対してはある程度批判的な眼を持ち続けたように思います。例えば以下の句のように。

兵隊が征くまつ黒い汽車に乗り  西東三鬼
玉音を理解せし者前に出よ  渡辺白泉
前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル 池田澄子

でも、上の句を見ても分かる通り、その批判的な眼とはあくまでも批判そのものではなくて、俳句的な対象の捉え方、ある種冷徹な距離の取り方に起因するものなので、
例えば正面切って体制批判の句を作ったとしても、その強さを担保するのは、意味内容よりも俳句形式としての詩的感興によるところが大きいと思います。
政治や情勢を詠むことに果敢に取り組んだ社会性俳句がその成果よりも失敗を多く語られるのは、定型にこだわったまま思想や意味内容に寄り過ぎた結果というのは、今更と言えば今更でしょうし、同じことが聖戦俳句にも言えると思います。

韻文を名乗る以上俳句は、社会的な目的を達成する手段として使うには、余りにも向いていないです。
もうこればっかりはどうしようもない事実です。

俳句で日記とか、俳句で豊かな日本の自然や文化を守るとか、若者のマナーを向上させるとか、それと同じくらい、俳句で平和を訴えるというのは無理があり不自然なことだと思う。
日記なら実際に書けば良いし、自然を守りたいならごみ拾いとか里山を育てるとかあるだろう。
今日、御茶ノ水で女子高生が核廃絶の署名を集めていたが、その姿を句にするより、署名した方がいいと思う。

最も、結果として日記となったとか、
結果として世界平和を訴えていると見られているとかそういうのを否定するわけではないです。

俳句が韻文である以上、何かの目的を達成するために使われるようにはそもそも出来ていないと思うのです。

実際、金子兜太が「反アベ俳句」ではなく「アベ政治を許さない」と、
どこからどうみてもなスローガンを揮毫したのも、
あくまでも俳句をスローガンとしないためだったのではないかと思ってしまうんです。

では、やはり、俳句は世論を二分するような政治問題には立ち入らず、花鳥諷詠で文芸芸術上の美を追求していればいいのでしょうか。政治的なテーマに踏み込んだ句には、俳句は川柳ではないと言って、最初から取り合わないのが賢明な態度でしょうか。

私はそれは絶対に違うと思います。
近年、主に政治方面から、ものを言うことへの締め付けるような息苦しさを感じているんですが、
今までと違うのは、それを社会が受容し始めていることだと思います。
私はこの息苦しさを無視して句を作り続けるような鈍感な人間にはなりたくないですね。
もし、この空気自体を避けて俳句が作られつづけることを良しとするなら、俳句は詩としての誇りをなくしてしまうんじゃないかとすら思います。

この空気に対して思うところを伝えるために句を作るつもりなどないですが、
思うところを出発点にした句の中で、
思いがけなく社会に問いかけるような句を
私の政治俳句としようかと思います。



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テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/01/24(日)02:37

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kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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