道理
妻が久しぶりにいい牛肉を買ってきた。ステーキ丼にして家族で食べた。大変美味しかった。
これから先、様々な自由が制約されることになるし、
様々な場面で誘導された人々の動きに沿わざるをえなくなるだろう。
それでもまさか食べ物まで制限されたりはしないから、今日のような
僅かばかりの贅沢を、もうそれで満足するように心を調節したほうがいいのかもしれない。子供にはできる限りの良書つまり古典を残そうと、少しづつ買いそろえているけれど、
そんなものを知ってしまったら、この国をこれまで支えていた保守主義が内側から食い破られて以降の息苦しさ危険性に気付いてしまうだろう。
できるだけ暗愚に従順に身をかがめて明るく育てるのが、事ここまで来た社会の底辺層の幸せかもしれない。
子供を作った以上、社会に放り込まないといけないのだが、食べることが大好きな子だ、
それだけさえ守れればいいなら、お父さんはこの国が大変素晴らしく、美しく、強く、誇りに満ちていて、
大いなる公の秩序に殉じることが、これからの生き方だと伝えてもいい。
お父さんは、今日みたいに「何かな、まず自分で考えてごらん」って促しつづけるし、
いつか、その疑問が社会に及んだときは、道理にたって考えるように促すつもりでいる。
その結果、目をそむけたくなる事実を受け入れなければならないこともあるだろうし、
敢えて、大きなものや多数の人と違う考え方を持たねばならないこともあるかもしれない。お父さんとは相容れない考えを持つかもしれない。
まだ3歳に満たない息子にかける言葉としては、気が早すぎるし、意味もわからないだろうけど、
肉食って元気になったし、私自身が肉食っただけでは満足しないという生き方を
まだ放擲するわけにはいかない。
人文学碑 西川火尖