文庫川柳所感

少し前からTwitter上で文庫川柳なる遊びが流行っている。

文庫本のタイトルを並べて5・7・5の並びにするという遊びである。
尖もやってみたが、組み合わせにより意外な世界が開けて、なかなか楽しかった。

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本のタイトルというのはいうなれば、季語のようなもので(なんでも俳句に引き付けて考えてしまう)
その本の世界を内包している。それが、意外な並びで、そのイメージを揺さぶられたり、裏切られたりするところに、俳句的な面白さがあるように思う。実際に何人かの俳人は、取り合わせの手法で本を並べていた。
私は文庫の殆どを京都の実家においてきてしまったため、作品としてはウケ狙いに走るようなものしかできなかったが(それでも意外とウケてうれしかった)。本当はもっと、「こんな本も読んでいるんだ」というところも含めて、表に出したかった。
そして、それこそがこの遊びの隠れた眼目なのではないかと考えている。蔵書というのはプライバシーの一要素であり、少なくとも私は理由なく公開したりしない。しかし、そこに遊びの要素が加わると、元からあった「持っている本を見せたい、できるだけ私が持っている尖った本や、あまり知られていないけど面白い本を見せたい」という欲求が上手く正当化されるのだと思う。
実際、文庫川柳の多くは、そういったセンスのある本で構成していることが多いように思う。
本を所有する喜びをある意味嫌味なく手軽に表明することができるこの遊びは、中々抗しきれない魅力があるように思う。

今回、「タイトルだけを並べて遊ぶことに少々作者へのリスペクトを欠くのではないか」という意見にハッとさせられ、少し自分の気持ちをまとめてみたのだが、ある程度うまくまとめられたと思う。
もっとも、リスペクト云々については、それぞれの感じ方によるものなので、それを批判したり、否定したりする気持ちはない。ただ、そういった誠実な怒りに対して、スルーすることもできず、こちらも丁度気持ちをまとめる必要があったので、書いてみたということになる。
「こういうのもリスペクトなんだよ」と言うことはできないことはないが、自分の例をみても分かる通り、その主張を信じてもらうにはやや無理があることは否めない。つまり、リスペクトを欠くと思うと言われれば素直に受け止めないわけにはいかない。しかしながら、作品を購入し、読み、蔵書し続けている読者としては、十分許される範囲の遊びではないかと考えている。


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立ち位置 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/15(日)09:58

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kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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