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日本語を知らない俳人たち

実は古典文法には自信がない。高校時代の副読本を参照したりグーグル先生に旧仮名チェックや活用、音便の確認をお願いすることも多く、それらがなければ私の俳句活動は極めて不正確なものになるか、いっそ口語でやっていたと思う。

しかし、俳句の短さにおいて、「ゐ」や「ゑ」、言ふ、てふ、などの旧仮名遣いの視覚的効果は有効で、また、季語の効果(過去の詩歌のデータベース的性格)を句の上に構築するには文語旧仮名のフォーマットでもって、過去との連続性を確保するやり方は理にかなっている。この辺は未だにプログラミングが英語をベースになされるのと似ていると思う。

私は古典が苦手であったし、なにより受験勉強が苦手であったから、それこそ高校時代の試験では英語の長文読解とまったく同じ感覚で古典の試験に当たるしかなかった。しかし現文がそこそこ良かったので、ひとまず地方中堅私大レベルには届いていたので、結局苦手は避けてこれ以上古典の文法を覚えようとはしなかった。

むしろ俳句を始めてから文法の副読本を辞書代わりにしている状態だが、基礎がなってないので、やはり十分とは言えない。そんな状況だから、何年か前に話題になった、池田俊二の「日本語を知らない俳人たち」は当時恐る恐る読んだ。間違いがあれば改めようと思ったのだ。しかし、読み進めてみるとどうにも納得できない。特に過去の助動詞「き」の連体形「し」を完了の意味で使うのが誤用だというところなどは、有名句を磔にして文法的に違うと言われても、句の方に魅力があるものだから、どうも言いがかりをつけているようにしか見えなかった。文法の知識も日本語の歴史の知識も乏しかったから、そのときは、「文法的には間違いかもしれないが、音律上のメリットを捨ててまで文法に義理立てする必要はないだろう、まぁこういう批判があることは頭の隅においておこう」と思って、途中で読むのをやめて図書館に返した。著者の批判する日本語を大事にしない俳人で別にいいやと言うのが結論だったが、少し負い目を感じたというか、傷にはなった。

この傷は後年、週刊俳句に掲載された下記反論のシリーズを読むまで消えなかったことを考えると、意外に深かったのだと思う。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7.html?m=1

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html?m=1

物理や化学、数学を例にすればわかる通り、高校の枠内で学ぶものは入り口の部分に過ぎない。入り口は大事だが、入り口ですべて片付くということはないのだ。もっとも言葉は変わりゆくものだから、日本語の得てきた豊穣さを捨てて教科書レベルに今後収斂されていくこともないわけではないだろう。できれば、そういった事態は言葉に関わる者としては避けたいところではあるが、言葉が変化していくこと自体は受け入れるしかないとも思う。

もっと勉強していればなぁと相変わらず後悔しているが、何にせよ日本語を知らない~をころっと信じて、したり顔で教科書レベルの知識を披瀝する嫌なおっさんになっていた可能性を避けれた過去の私は、中々冴えていたとその点においては満足している。

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俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/11/17(木)09:34

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kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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