むじなを読む(途中食レポみたいになりそうになる)

去年の文フリで東北若手俳人集「むじな」を購入した。

作品集ではなく俳人集となっているところも特徴のひとつだろう。
巻頭言で触れている「大学がそれほど多くない東北では、すぐに会いに行ける距離に切磋琢磨できる若手が大勢いる、とうわけにはいきません」という現実に対して、東北にゆかりのある若手が横断的に集まるむじなという場はひとつの答えになるだろうと思う。

内容は東北在住作家作品、東北出身作家作品、対談(ゲスト神野紗希)、寄稿、句会紹介、作家紹介などなど、100ページの中にぎっしり詰まっている。表紙はむじなの題と2017という西暦のみ、裏表紙には田、果樹園、荒地の地図記号のみとシンプルでセンスのいい作りになっている。

作品はまず、東北在住作家から
涼風
ゆつたりと回る潮の香扇風機  浅川芳直
匂いとは濃淡があってより強く感じるものだろう、そして南国のそれではなく東北の夏という濃淡がより強く潮の香を意識させる。そこにおおらかな人工物である扇風機のゆったりとした首振りがほどよく溶け合う。

今週も泣かなかったよ冷蔵庫  岩瀬花恵
全体を通してパーソナルな句がならぶ。特に掲句は、つぶやく相手がもちろん人ではなく、ぬいぐるみなどの甘々のものではなく、四角の冷蔵庫であるところが面白い。殺風景な部屋に低いかすかな音で唸る冷蔵庫、部屋に在るものの中では唯一人に近い大きさなのだろう。冷蔵庫の灯りは優しいと思う。

臘燭になる
中指で混ぜる二色のかき氷  うにがわえりも
恋愛や性愛を意識させる句が並ぶ中、この句もその慣性のなかで読まれることを想定しつつ、かき氷の冷たさが、「これはあくまでもかき氷ですよ」と変にブレーキをかけてきて悩ましい。かき氷は混ぜると汚くなるし、溶けてベトベトになる。

灰色の文字は濡れているように見える
暗がりに浴びて藤とはそのけはひ  紆夜曲雪
連作全体の流麗な調べ、旧仮名の曲線をかなり意識して見せていると思った。その中でも掲句は、藤の気配を藤の本質であると示し、それを旧仮名によって見える化した。音と視覚の調べが意味以上に感覚に訴えかけてくる。

偶蹄類
秋風のしみる靴底金欠ぞ  及川真梨子
金欠に対するやや常套的でストレートな感慨に、この句を即き過ぎの句としてしまい、正しく評価し得ない人もいるかもしれないが、それはもったいない。ぞの係助詞の強い踏み込みが、靴底の冷たい実感として迫る。

ヤム
ねずみ花火きらいわたしに似ているし  工藤玲音
若者の自嘲であるが、ほとんどi音で構成された本作の口ざわりの良さはなんだろうか。特に最後の「いるし」に口語ならではの魅力がぎゅつと詰まっていて、口にした瞬間から連なりながらほろほろとこぼれていく。口が舌が勝手に動かされてしまう。なんか食レポみたいになってきたぞやばい。

トム・ヤム・クンと名付けし金魚ヤムが死ぬ 工藤玲音
本来縁もゆかりもないタイの代表的な料理になぞられて、全く関係のない三匹の金魚に名前がついた。そのうちの一匹が死に、名前の完全性が削がれてしまった。そのある意味、身勝手すぎるがゆえの淋しさを負わされる残りの金魚だが、金魚たち自身は一切そのことに関与し得ない。私の記憶で類似のものを辿ると、好きだった女の子に一度も好きだと言えないまま気付かれないまま離れてしまった記憶に行き当たるのだけど、真面目な話、そういうことだと思う。

街いろいろ
春雨や橋に結ばれしスカーフ  佐々木萌 
春雨のやわらかな質感と雨ざらしになるスカーフの垂れ下がりよう。誰かが見かねて、放っておくでもなく、かと言って届けるでもなく、橋に結わえて、持ち主の来るに任せたのだろう。この距離感、この距離感が作中に心地よく通底している

雲の峰
会話なく揺れる座席の登山帽  佐々木もなみ
安心感のただよう会話のなさだと思う。連作の流れからして列車の座席だろうか。座席に登山帽をかぶった人たちが話すのでもなく、ただ駅につくのを待っている。静かなのではなく、おそらく列車や風の音などが気持ちを充実させているのだ。

縁―えにし―
春の宵集ひ始むるフットサル  漣波瑠斗
本当に何ということのない句ではあるが、ぽろぽろと一人一人、あるいは連れ立って、春の宵の薄青い街の中をラフな格好でフットサルをしに集まるのは、とてもいい時間だと思う。

すかすか
車両基地すかすか雨の七月の  佐藤廉
じっと、観察をしていても何も起きない基地にただただ雨が一定の調子で降り続いていく。線路の引かれた建物の暗い入り口や窓から中ががらんどうであることがうかがい知れる。

アンサンブル
風鈴や金平糖の売り場より  天満森夫
いかにも涼しげな様子で、金平糖の店舗ではなく売り場なのだから、催物の即席の売り場だと思いたい。その売り場の誂えに風鈴を吊り下げたのだが思った以上によく通る音がなったのではないだろうか。そのさまを素早くスケッチした力みのなさがある。

著我の花
花筵鳩は宇宙を見通す目  浜松鯊月
もっとも身近な鳥である鳩は宇宙を見通す目であるというこの句、おそらく「鳩の宇宙を見通す目」という意味で取るべきかもしれないが、鳩はとすることで少しスケールが増したように思う。確かに小さく硬そうな鳩の赤い目は慣れ親しんだ人間や哺乳類の目とは異質だ。

全句を通して読んで、東北という共通項でくくられた作者陣ではあるが、わかりやすい東北やみちのくっぽさはほとんどなくて、等身大の詠みぶりの句が多かったように思う。しかし後の対談で神野紗希が自然と人間のボーダーレスが東北の句に感じられるというのだが、その視点から見ると「花林檎みづかがみへと日の手触る 紆夜曲雪」「虹を潜るにふさわしきレンタカー 工藤玲音」のように、人の営みにも自然の営みにも同じスタンスでアクセスしようとしている句が確かにいくつかあり、それぞれに土地の気配がバックグラウンドで走っているように思う。産土(この言葉を使うにはまだ私は理解が足りないが)は当たり障りのない「東北らしさ」に現れるのではなく、作者独自の表現として出現するのだと思う。

次回は対談について、その後、東北出身作家について書けたら書く。そう言って書けたことは稀である。

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俳句 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/01(日)23:18

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kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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