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むじなメモ

むじなの座談会を読んで震災詠から考えていたら随分時間が経ってしまった。短くまとめることはできないけど、しかし長々と書いても遠ざかるようで難しい。いくつかの断片的な感想を以て、自分自身のヒントとしたい。



神野紗希という人選は良かったと思う。俳句2011年5月号の被災地への励ましの一句という依頼に対し、「良心的拒否」と迷った上での、神野紗希の身辺詠は、被災地以外の人間があの時点で俳句を通してどうするのか、励ましと言われておそらく多くの人が戸惑いと割り切れない気持ちを覚えたと思うが、その戸惑いにきちんと正対したものだったと思う。

暁鴉・睡魔・マイクロシーベルト   神野紗希
「詩歌の力」という語の乱用を避けたい。本当の詩歌の力は、何も言わなくても、しずかで深いところで、変わらずはたらくと思っている。(俳句2011年5月号)

その神野紗希が震災詠について、その場にいなくても、そこにいるかのような句になればと言っていたことに注目した。それは装えばいいであるとか、上手く詠めばいいであるとかとは全くの別物である。
私達には想像することは許されていて、その許しに対してこちらが差し出せるものが、「その場にいるかのように詠む」なのではないだろうか(要検証)

あとは、むじなメンバーそれぞれの主に震災詠が詠めなかった、詠まなかった理由について、東北と一口に言っても被害程度が地域によって全然異なるという点、短歌と俳句の違い、より影響を受けた被災者に読まれるという迷いなどが挙げられていた。もちろん、被災地だから、被災地に近いからという理由で震災を詠まなければならないなんて馬鹿な話はなく、しかしだからこそ、詠むには自身の中に確固たる理由がいる。あるいは、現実に入り込んで固定化してしまった震災の傷や傷跡までもを、自然として認める俳句の眼によって、結果として震災詠になるということはあるだろう。

むじな作品の中では
唯一、直接的に震災とつながるものを詠んだのは

蠅生る除染袋を押し退けて   一関なつみ

だった。

通勤中で今日はむじなが手元になく、不十分、未消化な点はあったが、思い出しながら書くということで、出てくるものが知りたかった。
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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)2018/04/13(金)08:18

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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