手段は選べよ。

俳句で、表現できたとか、表現しきれなかったとか、時々聞くし、俺もたまに言ってしまう。
しかしその後、いつも、ちょっと違うなと思う。

表現したいことや、言いたいことがあった場合、なにも俳句を使う必要はない。むしろ俳句じゃない方がいいとさえ思うねん。写真でも小説でも方法は色々ある。おしゃべり好きならずっとくっちゃべってった方が楽しいってこともあるやろし。

正直、俳句で何かを表現する必要はない。

俳句で、何かを表すというより。
俳句自体が目的。尖はそう考えています。



少なくとも、俳句を「手段」として使っても満足は得られないと思う。
手段として俳句をつくった場合、句よりも自句自解の方が上手いというのはよくあることで、俳句いらんやんと思うのです。

誤解を恐れていても言うけど、いい俳句は伝えようとしない。配達屋ではないのだ。
「良い句は作者の感情や見たものが伝わってくる」というのは読者の勘違い。読者は、作者の力と読者の勘違い力に騙されてんねん。それはとてもいいことやけどさ。だって信じるって素敵やん?



論処の討論会ではずっと歯切れが悪いままです。なんとかしなければ。読んで楽しいのは大暴れの冒険モノで、議論なら、ぶっ壊すかぶっ建てるかのどっちかに大別される。
単純に力不足です。来年は炎環と論処を両輪に空でも飛ぶからまぁ見てて。
乗組員の意識も潜在能力もきっとすごいから。


この11月12月で延約3000人のお客さんが約6000回見てくれました。
ほんとうにこんな変な文章読んで、頭の方大丈夫でしょうか?

とても感謝しています。

来年も「そして俳句の振れ幅」をどうぞよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。

テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

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