星測
よく言われている問題だけど、俳句と背景について。
例えば石田波郷の
敗戦日空が容れざるものあらず
について、その時代を知っている人に読まれたから残っているところがあると思う。
上のような句を尖が読んだって、きっと嘘くさい。
俳句が作られるものである以上俳句と作者の関係、俳句と時代の関係は、多分読者とのそれより強い。(句会で句が近く感じるのは句会に関係を強める機能があるからやろな)
総合誌とかの俳句のつまらなさは、読者が関係しないというところに端を発している気がする。
つまり俳句だけを楽しく読むためには、洗練された勘違いを身につける必要がある。
炎環一月号の先生の句が難しくって難しくって、辞書から用意して漢字の読みと意味を知った上で勘違いをしないといけないのだ。