反応線
世論はいつも反応が電流的というか機械的だなと思ってしまう。
これに対してはこう反応する、あれに対してはこう、とか
世論という大掴みなものを表すには自然と人にそういう反応をとらす他ないのかもしれないけど。
だから、個々人から見れば世論に対して懐疑的にもなるのだろう
この重苦しい感じはなんだろうね。ラインオーバーの笛があちこちで鳴るのは線の方が狭まってきているからじゃないだろうか。ひとかたまりの我々ははみ出した部分を躊躇わず切除することで対応する。
前もかいたけど、巨視的すぎて解像度の悪さに気づかないのかもしれない。