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私と俳句の、振れ幅

そろそろ俳論らしいものを書いていこうと思う。
実はこの文章は昨日の日記の下半分の書き直しで、最初は季語と俳句のルールについて書いたんだけど、いろいろ考えて、整理してからまた書こうと思ったのです。
なにしろ何事にもあるのが、順番ってやつなのです。
というわけで、最初っから、はじまりはじまり。うれしはずかし新カテゴリー。

俳句をはじめたきっかけが、公募型のコンクールだった。
だから、今でも私の俳句にたいするスタンスは、「名を成したい」であり、しばらくはそれが大きく変化することはないと思う。
根が目立ちたがり屋なのだ。
別に有名になれるなら俳句じゃなくてもよかった。むしろ俳句じゃない方がよかった。小説や絵、スポーツ各種、俳句よりずっと大きな舞台が用意されている。
でも、尖は俳句を選んだ。
俳句が一番手軽だったからだ。手軽に有名になりたい尖にとって俳句はぴったりだった。十七音で賞と賞金が手に入るなんて。おいしすぎる!
だから、自然が美しいとか、草木虫魚の声を聞くとか、そんなことに全く興味は無く、ただただ自分の脳内を引っ掻き回して、風景を思い出して言葉を切り貼りして、コンクールに応募した。

もちろん、動機なんてどうだっていい、ようは経緯と結果だ。自分がどう変わっていくかということと比べたら、動機なんて素粒子より小さい。超ひも同然だ。ただ、どうしても俳句との付き合い方には影響する。俳句を名を成すための道具として出発した尖は俳句と俳句にまつわる世界を軽く見てしまう。
軽く、というのは少し語弊があって、むしろ違和感というほうがしっくりするかもしれない。俳句のシステムを鵜呑みにできないのだ。
尖は俳句を始めたきっかけの部分の影響で、そうなっているのだが、これは問題意識の高い俳人ならみんなそうだと思う。長々と俳句を始めた理由を書いたのは煎じ詰めれば、私は俳句に問題意識を持っているということをいいたかったからだ?
よかった、オチた。

そんな尖が最初に抵抗を感じたのは当季主義だ。俳句が季節の詩だからだと説明されるが、季節の詩だからこそ不可解な部分が沢山ある。
当季主義とは、ようは春は春の句、夏は夏の句と、その季節を詠むのである。とても自然なことだ。本来なら。しかし俳人たちの季節はズレている。まず第一の問題がそこだ。おおまかに、二・三・四が春、五・六・七が夏・八・九・十が秋、十一・十二・一が冬。太陽暦にむりやり旧暦をあてはめるこのやり方はむちゃくちゃだ。このため、広島忌が夏で長崎忌が秋なんて変な問題が起こるし、ある日を境に前の季節の季語が使えなくなるなんて、どうかしている。季節に境界はないはずだ。
他にも、今が夏であるという理由だけで、何年も蛍を見たことのない尖が蛍を詠んでもよくて、数ヶ月前に見た雪を詠めないというのは、どうなのか。
俳人の多くは季節に敏感で、さまざまな自然の移ろいを封じ込めることができ、尖は単純に何人か尊敬している。虚子教徒は嫌いだが虚子の句は好きだ。
季節に敏感な俳人が、人為的な当季主義の支配下にあるなんて、そしてそれを当然のこととして受け入れているならば、かなりおかしいと思う。
当季主義に「俳人同士のコンセンサス」以上の価値を今の尖は見出せない。

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俳句の振れ幅 | コメント(6) | トラックバック(0)2006/07/09(日)00:00

コメント

無用ですが

尖君の考えと僕もほぼ同じです。

俳句の座の宴を盛り上げるために同じ季節のものを共有しよう、という「俳人」の遊び心があるだけしょ?

そういう場にいる俳人としてではなく、ひとりの人間として句を詠む人には関係のないことです。

同じ季節のもので競い合おうとか賞を取り合おうとか、そういう遊び心があるだけだと思います。

秋に冬の句を作るなという人間はあまりいないと思います。

2006/07/09(日)00:26| URL | かんや #mQop/nM. [ 編集]

何か俳句について主張したい。

確かに、季節の統一があった方が俳誌とか句会は読みやすいし比べやすいですね。

句会や俳誌のコミュニケーションのツールだとするとあまり問題はないのかな。でも、問題意識の有無とは別問題ですしね。まぁいいか。

推敲で季語を変えるときはその季節がくるまで待つって人なら知っています。いや、知り合いじゃないけど雑誌で読みました。その人が、それを回りに強制するかは知りませんが。

かんやさんの季語論よみました。

2006/07/10(月)01:03| URL | 火尖 #- [ 編集]

受け売りですが

 以前俳句関連のサイトで読んだ文章の受け売りですが、俳句が座の文芸であるという前提で、俳句は「挨拶」の気持ちを内包した定型短詩という考え方から、当季なのだと思います。要は作る自分より読んでくれる人のことを思っての当季だと。
 だから、座の文芸(句会を含めて)という性質をとっぱらったら、普通の自由律詩のように好き勝手に詠って読む人がどう思おうとお好きにどうぞ、というのもOKかもしれません。
 それと、単純な話、火尖さんが自分の感覚に素直で、人と違う事を恐れない強い人ということも言えるかな。私の場合あっつい夏の最中になんで立秋やねん、と思っても、そうか今日から秋か、しょうがないな、で済ませてしまう。そして常識にがんじがらめの小心者ですから(笑)、夏に冬の句を詠んだら顰蹙を買うかなと思うだけでやめてしまいます。
 作る立場としては、自由律詩や短歌の場合もやはり真夏の今秋や冬の景色は詠い辛い。自然、夏を詠わないなら季節感のないものになります。俳句はそれじゃまずいからねぇ。
 そういう意味でも、火尖さんはバッチリ詩人なんです、羨ましいです。
 なんか、とりとめのないコメントになっちゃった、スミマセン。

2006/07/14(金)14:47| URL | お気楽堂 #wXqYE0t. [ 編集]

No Subject

お気楽堂さんコメントありがとうございます。尖は結社誌に送る句と結社のネット句会には全部当季で出しています。ルールを守って楽しく遊びましょうって結構大事なんですね。
ただ、それとは別のところで詠みたいものが詠めないという不自由さとは闘っていきたいですね。春夏秋冬20回以上経験した大人が身動きとれないなんて。

尖はたまに攻撃的になってしまいます。顰蹙買いすぎて倒産したらどうしましょう。。

2006/07/16(日)01:08| URL | 火尖 #- [ 編集]

わかりました

コメントに返答ありがとう。
あぁ、尖君の「詠む」は「発表」するってことだったんかぁ。今まで勘違いしてました。

2006/07/16(日)11:28| URL | かんや #mQop/nM. [ 編集]

詠む、作る、出す、拾う。

寛さん、まぁそんなところです。俳句になるときの自分の行為がうまく定義でいないので、便宜上詠むなどとしています。同じ感じで、作る、出す、拾うとかも使いますが特に使い分けてるわけではないのです。

2006/07/17(月)18:14| URL | 火尖 #- [ 編集]

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kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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