責任レンズ

人間を人格を持ってもよい層と脳を破壊して持てなくした層に分ければいいと思う。無人格層は労働力として生命維持だけは保障される。弱者は人格を捨てれば生きることができるので弱者保護になる。なんてことを考えた。なんとなく今の社会では受容されてしまうんではないか。

派遣切りなどについて、
自己責任とは便利な言葉で、それさえ言ってしまえば何もしなくていいような気になってしまう。反対に自己責任を負わされる側は、社会における最小単位である個人の力だけで構造的な問題にも立ち向かわなくてはならなくなる。

証券化によってあんなに細分化できた責任というやつは、今少しでも束ねて、不利な人間へ不利な人間へと流れ込んでいる。

それは虫眼鏡で蟻を焼き殺すようなもので、
だから自己責任をこねまわす奴らの口調はどことなくニヤニヤしてるのだろう。


でも尖は自己都合退職なので、派遣村には行けません。
自己限定責任なのです。


にんげんに春の絶壁ありました 松本恭子
階段がなくて海鼠の日暮かな  橋石

ほんと良い句ですねぇ。

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雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2009/01/03(土)10:25

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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