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就職したのでここ数年を振り返って見る 4

夕方、東京を発ち、8時には家についた。
実家は、よその家みたいに変な臭いがして、改めてこんなに家を長く空けたのは初めてだったんだなぁと思った。大阪営業所の同期に道を聞いてから寝た。

各地に散って行った同期の情報を集計して出した厳しい営業所ランキングでは、品川がぶっちぎりの最下位で、実は明日から行く大阪営業所も下位グループに属してはいた。しかし、毎回夜遅くに大阪の同期が「厳しい、しんどい、帰れない、帰れない」などとメールを送ってきていたので不安もあった。ランキング下位でこれなのだ。
当時の品川営業所を振り返ると、広くて明るい、出来る会社の実力オフィスという感じだった。そこで、きれいな事務員さんのきれいな指で電話対応なんかを教えてもらったり、事務所内の自販機で飲み物を買って休憩したりしていた。楽だったと思う。また同期6人を受け入れるには机が足りなかったので、先輩が営業から帰ってくるまでに大体の仕事を終わらせる必要があった。なので上がるのも必然的に早かった。もし営業所に帰ってからの先輩たちの仕事をよく見ていたら、「向カウトコロ敵ナシ」の大本営発表を疑うこともできていただろうに、当時はさすが業界パイオニア、先行くトップランナーだと思っていた。
それが一転、大阪営業所は、そこにテナントが入っているのかも疑わしい、小さなビルの一室にあって、来るときは本当に見つけるのに苦労した。ドアを開けると、天井が低く、局地的にしか冷やせない年代物のエアコンがゴウンゴウンうなっていた。床のタイルがでこぼこしていて、ところどころ剥がれていた。近くにはパソコンのコードがまとめてガムテープで止められており、それも剥がれかけていた。そしてトラックが外を通れば、グラグラと揺れる、そんな部屋に20人の営業マンがひしめいていた。
まさに荒地の開拓民の掘っ立て小屋という様相で、品川でついた会社のイメージが一気に変わった。でもまぁ360度回ってそれはそれで「パイオニア」の正しい姿に違いはなかった。聞けば全国の営業所の中でもかなりの歴史をもっているらしく、今の専務もここがスタートだったらしい。
それに今回は自分の机がある。実はそれが結構うれしくかった。不安もあったが、他の営業所の奴らはもう営業にでているので、早く遅れを取り戻したかった。本当は俺は営業が好きというわけでもなく、それを仕事にしたいとも思っていなかったのだが、それでも入社後一度も本来の仕事をしたことがないというのは、落ち着かないもので、現場に出る日を心待ちにしていた。

しかし、結局与えられた仕事は品川時代と寸分たがわぬ、テナントリストアップ業務、しかも、いつ終わるのかは不明だという。
ただ、きついと聞いていた大阪営業所だが、むしろよく面倒をみてもらえたと思う。
事務作業終了後、毎日営業の練習をみてもらっては先輩や上司に判子をもらい、少しずつ商品知識も深まって行った。

そして、少しずつ、この会社の商品を売ることの難しさに気づいて行った。


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雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2009/04/05(日)01:47

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

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