えぇ改めて言います。タイトルと中身は一致しません。
てか、戦国洗顔史に一致する中身ってどんなだ?
ないやろ。普通。
尖は無欲な石鹸派、鼻のあたりを念入りに洗います。
さて、そのタイトルですが中身とは何の関係もなくても、こだわりはあります。
言葉の新しい効果を発信することです。
タイトルってのは文章体におけるパッケージです。これを見て読者はいろいろ考える。だから作者は内容と表現を考慮して魅力的なタイトルをつける。尖のはまぁ表現だけに拘った実験または詐欺みたいなもんですが。
とにかくタイトルってかなり大事。そして短量で表現する点、イメージへの装置になる点、俳句に通じます。
ところが俳人はタイトルに対して非常に無頓着、軽く見ている。
炎環の同人句にはそれぞれタイトルがつきます。実際に見てみると、
青田波
夕蜩
金魚
六月
など季語をそのままタイトルに使っているのが多い。
そしてその季語は必ずその発表句の中にあるそれをつかっているのです。
六月とつけた作品群の中の季節が六月なのは当たり前でしょう。なのに俳句でも六月と言う。
普段、季重なりとかに神経を使っている人の行為とは思えません。
タイトルが季重なりしています。作品群で既に表現されている季節感を改めてタイトルで示すなんて、無駄を嫌う俳人の仕事とは思えません。
怠けている若しくは、俳壇の常識に縛られて身動きとれなくなってると考えるしかありません。実際総合誌の作品のタイトルも句集のタイトルもつまらないものが多いですし。
(山口紹子さんの句集「LALALA」はちょっと読んでみたいと思わせる名前です)
同人欄は会員欄と違ってタイトル分の表現領域が与えられているんですよ。出せば必ず五句掲載の炎環にとって会員欄と同人欄を分かつ唯一のものですよ。
それを句から拝借した(大抵は一番安易な)言葉貼り付けただけで済ましていいんですか。
そこのとこ、もう少し真剣に考えていただきたいものです。
そして「類想」を押しのけたタイトルと作品を示してほしいです
炎環九月号のベストタイトル賞は
悪路王 島 青櫻
です。その中より一句
悪路王の血のよみがえへる蟇の夜
ジーンズの穴
億年の音
スカートの膝
ほんとうの家
は
少し読みたいと思いました
てか、戦国洗顔史に一致する中身ってどんなだ?
ないやろ。普通。
尖は無欲な石鹸派、鼻のあたりを念入りに洗います。
さて、そのタイトルですが中身とは何の関係もなくても、こだわりはあります。
言葉の新しい効果を発信することです。
タイトルってのは文章体におけるパッケージです。これを見て読者はいろいろ考える。だから作者は内容と表現を考慮して魅力的なタイトルをつける。尖のはまぁ表現だけに拘った実験または詐欺みたいなもんですが。
とにかくタイトルってかなり大事。そして短量で表現する点、イメージへの装置になる点、俳句に通じます。
ところが俳人はタイトルに対して非常に無頓着、軽く見ている。
炎環の同人句にはそれぞれタイトルがつきます。実際に見てみると、
青田波
夕蜩
金魚
六月
など季語をそのままタイトルに使っているのが多い。
そしてその季語は必ずその発表句の中にあるそれをつかっているのです。
六月とつけた作品群の中の季節が六月なのは当たり前でしょう。なのに俳句でも六月と言う。
普段、季重なりとかに神経を使っている人の行為とは思えません。
タイトルが季重なりしています。作品群で既に表現されている季節感を改めてタイトルで示すなんて、無駄を嫌う俳人の仕事とは思えません。
怠けている若しくは、俳壇の常識に縛られて身動きとれなくなってると考えるしかありません。実際総合誌の作品のタイトルも句集のタイトルもつまらないものが多いですし。
(山口紹子さんの句集「LALALA」はちょっと読んでみたいと思わせる名前です)
同人欄は会員欄と違ってタイトル分の表現領域が与えられているんですよ。出せば必ず五句掲載の炎環にとって会員欄と同人欄を分かつ唯一のものですよ。
それを句から拝借した(大抵は一番安易な)言葉貼り付けただけで済ましていいんですか。
そこのとこ、もう少し真剣に考えていただきたいものです。
そして「類想」を押しのけたタイトルと作品を示してほしいです
炎環九月号のベストタイトル賞は
悪路王 島 青櫻
です。その中より一句
悪路王の血のよみがえへる蟇の夜
ジーンズの穴
億年の音
スカートの膝
ほんとうの家
は
少し読みたいと思いました


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