俳句プラモデル説

俳句は作る人が圧倒的に多くて、純粋な読者となると極端に少ない。
もちろん調べたわけではないけど、少なくとも、俳句は読むの専門ですって人は
火尖は多分いまだ会ったことがない。
前回の俳句の勉強会、東京俳句では、本筋のトークではないが、俳句で稼ぐにはどうすればという話もした。読者不在の状況では、作品を読んでもらうことで収入を得るのは厳しそうだ。
そうなると当然、とういか実際、人の俳句を読む方がお金になる。
ここまではただの確認。みんなそう思っているし、その状況を変えようと頑張っている人もいるし、もちろん奇跡的に売れる句集だってあるかもしれない。

とまぁ、そんな俳句ではありますが、そんな読者不在の俳句は果たして文芸と言えるのかという疑問がでるのも当然の向きでしょう。だって純粋読者ほぼいないんですよ?
でも今回そこのイエス・ノーには敢えて立ち入りません。しかし、私から言わせれば俳句は文芸よりも多分プラモデルに近いですよ。プラモデル。

初心者でも説明書通りに作ればひとまず形になり、作ったからと言って基本売れるわけでもなく、同じプラモでも作り手のセンスや工夫、見せ方で全く違った作品になり、ごくごく少数ですが、それだけで食べている人間もいる。プラモデルを趣味にしている人で、「作ったことありません、見るの専門です」ってのも極端に少ないんじゃないですか。
大会にはたくさんの作者が集まったり、雑誌や書籍では作り方やハウツーが主なコンテンツってとこまでそっくり。
「俳句は季語を含む五七五定型詩」は、「プラモはキットを購入して組み立てる模型」という風に、すんなり言い換えができますし、無季俳句は市販のキットを使わずに作ったプラスチック模型とでもいいましょうか。自由律は材質に拘らない、ですかね。
極めつけはガンプラですよ。あれはホトトギスです。

そんなプラモデルが普及のために増やすとすればもっと作者を増やすような施策をうつでしょう。作って楽しいというのがやはり一番の魅力でしょうし。それでプラモが先細るとか、多分そんなことはないと思いますよ。
そう考えると俳句も何をどうすればいいか分かった気になってきました。
まずは作者になった上で、その気があれば読者になったらいいんじゃないですかね。読者の数が少なくてもいいんじゃないですか。でも優れた読者になったらお金が入る。作者が読者を大事にする文芸でいいじゃないですか。
句集売れなくてもいいとは言いませんよ、でも今みたいにとりあえず作って、無料で配りまくるなんて止めたらいいと思う。俳句関連書籍のクラウドファンディングサイト作ろうよ。受注生産すればいいやん。すごく読みたい本はお金出して買う。これが誰にとってもいい結果になると思うんですよね。
その中で売れる作者ってのは、ちょっとかっこよすぎるわ。あこがれる。



俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/08/02(火)15:00

子連れ句会二回目やるよ!!

二回目の子連れ句会が近いので、今回のテーマの自分より大きい動物についてちょっと書く。
結構ね、子連れ句会は俳句の新しい角度のイベントになれるかもしれないなあと思ってる。定着してもっと広がればいいなぁ。行こうかなぁって迷ってる人がいたら、おいでって自信を持って言える多分。

適当に、動物の俳句について。
大きい動物ですぐ思い浮かぶのは、飯島晴子の、「月光の象番にならぬかといふ」だけど、よく考えたらこの句は象ではなくて、象番が詠まれた句で、さらに言えば象番よりも、月光の印象について書かれている気がする。でも、いい句だから許して。「ならぬかといふ」のあたりに月光の降りてくる感じがするのだ。
誰が言ったのか忘れてしまったが、良い俳句というのは、狙ったマトのさらにもう一枚向こうに思いがけず届く俳句だという言葉を思い出す。

「恐竜には致死量の憂鬱だつたか」
松本恭子と言えば、「恋二つ レモンはうまく切れません」で名を馳せた俳人だが、どちらかというと私は彼女の等身大の俳句よりも、肥大化した感情を持て余す句に魅力を感じる。
掲句も恐竜という巨大さや鈍さが、却って憂鬱に対する、なす術のなさを強調している。このように巨大な対象を詠むことで、それに降りかかる効果をさらに強調できるというのも大きなものを詠む醍醐味と言えるかもしれない。
同じ作者の「鏡よ鏡人間たちの燃えやすき」も夥しい人間の量というスケールメリットを存分に活かしているように思う。

その他に
父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し 寺山修司
桜散るあなたも河馬になりなさい 坪内稔典
生き急ぐ馬のどのゆめも馬 摂津幸彦
秋の馬水にかこまれゐて寧し 大木あまり
遠雷や麒麟の長き舌は濡れ 柿本多映
など、小動物ほどではないが、様々な句が試されている。

そもそも大きい動物を見れるようになったのは動物園の登場によるところが大きいので小動物よりは、歴史が浅いのはもうしょうがない。
見方を変えれば、まだ手垢のついていない領域が残されてるかもしれない。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/07/16(土)00:24

俳句の未来

 さて、佐藤文香については正直なところ現時点では批判すべき点が見当たらない。作品も文章も面白く、俳句を愛していて、俳句で生きていくという強かさも持ち合わせているし、俳句以外の世界にチャネルが開いていて、どう俳句を認めさせるかという点でもかなり意識的に活動していると思う。私にとっては、常に気になる俳人であるし、第一、第二句集も別に買ったりしてないけど、好きな句はたくさんある。
 以前、過去記事のあれやこれやで批判(2009-02-012009-02-012009-02-09)を試みたことがあるが、今や俳句は彼女にほだされてしまったというか、これからの俳句にふさわしい俳人に佐藤がなったというか、そんな印象すらある。前回ブログで書いた虚子、子規の話であるが、後は我々が彼女のフォロワーになりさえすれば、準備OKというわけだ。そのためのチケットとして「俳句を遊べ!」は非常によくできている。これは買った。面白かった。
 実際、佐藤文香が本気で動けば、相対的なものにまで弱まった俳句の価値観のいくつかは一気に確定してしまうだろう。方向性を見失っていた俳句を、子規の唱えた写生のように、あるいは虚子の花鳥諷詠のように導く力がすでにあると見ていい。写生、花鳥諷詠に続く、佐藤の著作頻出の「面白い」という価値観によって俳句は革新されるだろう。もちろんその「面白さ」は「俳句を遊べ!」を読めば分かる通り、画一的なものではなく、様々なものを認める方向に働くので、批判のし辛さという意味でもよくできている。
 おそらく既存の俳壇ともうまく付き合いながらも、佐藤が築く「俳句外部に読者を持つ新しい俳句圏」に人材の多くは集まるようになるだろう。こうなってくると、支持基盤構造がガラリと変わるわけだから現代俳句の続編ではなくて、未来の俳句と呼ぶべきものとなり、名実ともに佐藤文香によって俳句革新が成るというわけである。
 ただし、それによって打ち捨てられてしまうものがあるはずである。それは例えば俳句の「面白くなさ」であり、あるいは「停滞」そのものではないだろうか。虚子没後、俳壇は中心を失い、凪ぎの時代が長らく続いたが、ようやくその時代を所与のものとした若手が台頭し始め、むしろ、凪いだ今だからこそ、「俳句とは何か」「俳句の分からなさ」について余計な夾雑物なしに考えることができるようになってきたと言えるのではないかと思う。停滞しているように見えるときほど、その内部では新しい胎動がみられるというものだ。そしてその動きはまだ始まったばかりである。佐藤文香もあるいはこの停滞から生まれたのかもしれないが、彼女の強い個性が、そういった他の胎動を、例えば「面白く」なければならないと染め上げてしまうのか、どのように扱うか注目したいと思う。

まとまったような、まとまってないような、勢いだけの文章になってしまったが、最後に口直しに、当時すでに彼女に子規を重ねていた記事を紹介して寝る。当時とは状況も違うけど、中々面白いと思う。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/30(月)22:53

現代俳句の続編

誰もが思っているかもしれないことは火尖も思うわけで、

要はそれを言うか言わないかだ。
私は凡そ、文章を書くための武器と呼べそうなものは持っていないけれど、
唯一、出来ることと言えば、本来誰でも出来ることしかない。
例えば冒頭にもあるように、言うか言わないかでいえば、言う、もう言ってしまう。
そういう、人のわざわざやらないことをやるという点で、
ぎりぎり俳句の世界に関わりたいとは思う。

前振りが長くなったけど、結局実は今回言いたいのは一言だけで、

子規を神野紗希、虚子を佐藤文香とした
現代俳句の続編がもう始まっているのではないか。
その中で淘汰されるものと称揚されるものの峻別を
再び全ての俳人が受けなければならない、という続編。
そして、それはおそらく選という形をとらず浸透するのではないか。

ここから先を書く力が本当は欲しいのだけど、
それがあれば、そもそもこんなこと書いていないよなぁ。

追記、
Facebookで、佐藤文香子規説が出てるので、佐藤文香は子規兼ねる方向で。確かにそんな気がする。

しかし、神野紗希については、そのフラットさで何か起点のような構造を押さえられている気がする。




俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/29(日)16:45

子連れ句会顛末③止メ

被講と選評は、ところどころで休憩を混ぜながら行った。
その間に赤ちゃんを抱っこしたり、覚のおむつを替えたりした。
オタマトーンの演奏も試みてみたし、四ヶ月ちゃん、九ヶ月ちゃんは眠らされようとしていた。
九ヶ月ちゃんは程なくして寝た。

選評について、例えば、俳人同士の句会であれば、つきすぎや、季が動くなどの指摘については、
なんとなく外部に共有のデータベースがあるのを感じながら話が通じるというのがあり、
今回についても自分はそういったことについつい頼ってしまっていて、
それを抜きにしたら自分の評は成り立たないのだなということに気付いた。
そして、やはりそういったものに頼らずに句を読んでやろうという選評に惹かれた。

結さんは、句会も俳句も初めてとは思えないほど、人を納得させる選評だった。
言葉の印象や表記によって受ける印象について句から読み取れるものは全部読み取ろうとしていることが分かった。
歩さんは、もともと詩で活躍している人で、私と選が被った句の評が正反対で、大変刺激を受けた。
「こっちからも光を当てることができるよ」というか、俳句の詩としての見え方を教えてくれたと思う。
感受性を最大限拡げ、何かを俳句から得てやろうという強さがあった。
まどかさんは久しぶりの句会で、私はこの人のいる句会はやはり好きなのだと思った。
裕美さんは子連れの企画当初からずっと賛同してくれて、自分と同じようにこの句会に期待して、
楽しみにしてくれていた。それがとてもありがたかった。
葉月さんは、自分のつたない司会をいろいろ助けてくれた。
また、俳句に染まっていない部分を抜き出しては議論を提供してくれていたことが大きかったと思う。
付き添いで来てくれた隆司さんは、いろんな子の相手をしてくれて、すごく助かった。
もしよかったら俳句も読んでみたいです。

ともすれば、選評を捌いていくと言ったように、やや退屈な句会もあるなかで、
この句会の楽しさは、個人個人の詩質の違いが織りなす、ある種の緊張感によって
成り立ってたように思う。句会の進行自体は超緩めで、中身は濃かった。
帰りは子供たちのちらかしたおもちゃを片付けて、16時すぎごろお開きとなった。

第二回に向けての反省点としては、
・句会場はあの人数でも和室二部屋とっちゃいましょうか。子供の遊びスペース確保できるし。
・次回は当初の企画段階で話していた、子守担当を一人置いてみますか?ちょっとこれはFacebookで相談ですね。

新規の参加者を募りつつ、またこのメンバーでお会い出来ればうれしいです。

あと、やってみたら意外と普通に句会でした。
是非ほかの地域にも広がればいいなと思う。
ノウハウ的なものは偉そうなことが言えるほど貯まっていないけど、
もしよろしければご相談ください。  


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/05/04(水)00:49

子連れ句会顛末②

親子でおいでよというイベントは世の中に沢山あって、その大半は子供のために、子供が楽しめるようにできている。親としてはそれで満足なので、何の文句もないのだけど、しかし、一方で大人だって純粋に楽しいことがしたいのだ。副次的な満足ではなくてさ。 

それが親子句会ではなくて、子連れ句会という名前をつけた理由でもある。子供も楽しめるけど主役はあくまで我々大人っていう、意外とそんな企画ってなくてさ、この句会ではそこを大事にしたい。 
閑話休題、前置きが長くなってしまった。そうそう、プラレールの合間に、四歳お兄ちゃんを中心に、子供達が座布団を配ってくれて、超可愛いから! うちの子もちゃんとお手伝いできた。そしていよいよ、子供達がプラレールで遊び始め、大人はその隙に句会である。 短冊を配り、簡単にルール説明。Facebookに予めルールを書いておいて良かった。初めての二人も混乱はないように見える。うちの子はプラレール大好きだけども、お友達の輪に入るのが苦手で、もんもんとして隅っこにいる。さすがに見かねて、裕美さんが絵本を読み始めたので混ぜてもらう。少し落ち着いたようでよかった。四歳お兄ちゃん三歳お姉ちゃんからレールを分けてもらい、一人遊び開始。葉月さんにお菓子をもらってだんだんペースが出てきたようだ。そんな雰囲気。いつもの句会とは違って、出句までかなり時間をとってのんびり進めたが、子供がいても気兼ねなくって感じで、良かったと思う。 
そうこうしているうちに全30句が出揃い、選句開始である。 句会が始まる前までは経験者に選が寄ってしまうのではないかと、少し心配したが、完全に杞憂だった。以前ブログに書いた通りの新しい句が沢山あって、ここから五句に絞る難しさ!楽しかった、すごく。 書いてて思い出してきて一人で盛り上がってきた。 
 続く



俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/04/28(木)21:47

子連れ句会顛末①

これから子連れ句会がいろんなところでもっと開かれますように。

先週の日曜日、子連れ句会当日。朝からこれぞ春雨というような雨が降っていた。とにかく雨は、外出難易度を跳ね上げるので、あー雨だ、あーあーなどと気を揉んでいたが、程なくして雨は止み、息子の覚をおだてて自転車に乗せ、ぎりぎり間に合うくらいの電車に乗って阿佐ヶ谷に向かった。

元々この句会の発端は、以前、覚と一緒に電車に乗ってるとき周りに迷惑をかけてしまったりして、謝ってるうちに、自分自身がまいっちゃって、尤も、迷惑かけた側がまいってしまうなんて許される空気ではないけど、とにかく子育ては社会では害悪なのだと思い知らされたのだった。
そんなとき子育て世代同士でなら、協力も譲歩もずっとやりやすいだろう、ていうか句会行きたいなどと思っているうちに子連れ句会を思いついたのだった。

さて、会場は和室である。子供連れて来るなら絶対和室がよい。床を這っても安心だし、赤ちゃんは座布団で寝かせられるし、むしろ和室以外では子連れ句会は考えられない。それくらい和室のアドバンテージというのはすごい。今回集まったメンバーを軽く紹介すると、
火尖=私だ、子は二歳
裕美さん=俳人、子は三歳
歩さん=句会初参加、詩人、子は四ヵ月、4歳
結さん=句会初参加、お子さんは今回欠席
まどかさん=俳人、子は九ヵ月
葉月さん=俳人(おじいちゃんポジション)
という個人的には中々バランスの取れている布陣だと思った。
会場には既に全員集まったので、これから初めての子連れ句会が始まるのだけど、
まず初めにしたことと言えば、長机に囲まれた中に子供たちをいれて、
プラレールを設置することだった。

続く


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/04/28(木)00:50

言っちゃった感

果敢にも会社で俳句を勧めることがあるのだけれど、その時、
「ここで、一句!」とか言われるとその後の微妙な空気が見えてしまって正直きつい。
しかし話の流れで、ええいままよ!となるだけ自信のあるやつを出すと、
大喜利的な答えを期待されていて、「そのこころは?」って、
そんなの用意してるわけなくて「えっ?」ってなると、向こうも「えっ?」ってなって、
やっぱり微妙な空気になる。
一度、「なぞなぞになっていない」みたいな批判?をされたときなどは、
こっちが「そのこころは?」って聞いてしまいたかった。
が、よくよく考えると、その心は、どうしても俳句には俳句の読み方ってものが必要で、
なんとなく先輩も、この大して興味のないよくわからない片言を
そのまま読むものではないと思ってくれて、「謎解き」に答を求めたのではないかと思う。

また、ある日などは後輩の割合素敵な女性に俳句を勧める好機が訪れたのだけど、
「私、サラリーマン川柳大好きなんです〜」って言われて、「俺も俺も〜」ってなって、
なんだか楽しい時を過ごしてしまった。結局サラ川に投句する話になって、作ろうとしたのだが、
中々納得いく句ができなくて機会はのがしてしまった。

よながひろみさんの下記ツイートも含めて、どうもこの辺りが
俳句をやらない人の「俳句」に対するイメージとして固まっているのだと思う。
------------------
初心者が5と7と5の合間を空けたり改行入れたりするのも半分ぐらいが友蔵のせいじゃない?と乱暴に思ってたりさえする。
-------------------

そこで、会社で俳句の話をする際に感じる壁を「友蔵サラ川ライン」とつぶやいてしまったのだが、
思った以上にこの線引きに強引な説得力を感じると同時に、俳句への関りについて、傲慢に分断してしまった
ような言っちゃった感というか、罪悪感を持ってしまった。
慌てて、自省をこめてなどと言い訳をして、「俳人が防波堤にしている」などと呟いてみたけれど、
なんだか、余計墓穴を掘った気持ちになってしまった。少なくとも今自分が生んだ言葉を防波堤にするなんてことは、
「俳人が」ではなくて「火尖が」と言うべきだったと思う。
そして、おそらく俳句を「そのまま読むべきではない」と思った先輩の気づかいみたいなものを
「友蔵サラ川ライン」は塗りつぶしてしまう気がしてならないというところまでが最新の弁明です。
その一方、俳句の世界の最外部の国境を偶然見つけてしまったような、
面白味を感じてしまったのも、まぁ事実と言えば、事実なのでしょうがない。

ちなみに私が俳句を初めたころ、明確にその国境を越えたことを自覚したかと言えば、
恥ずかしながら答は「イエス」である。

あと、友蔵はおいといて間違っても俳句と川柳の優劣をどうこう言う意図はないです。
それぞれいい句もあれば、そうでないのもあるとしか言いようがない。

テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/02/05(金)20:58

ライン

週刊俳句のこの記事を読んだ。
俳壇と「悪魔界のうわさ」、 加えて「石田郷子ライン」という語について
記事が出てから俳句界隈がざわついたのが面白かった。

筆者は以下引用のように言うけれど、
「そしていま、「石田郷子ライン」という言葉が、まさに僕らが置かれているこの状況のなかで、生き生きとした力を持ってしまっている。けれど、この言葉は、俳壇を構成する噂以外の何物でもない。このひたすらにキャッチーでしかない言葉は、それ自体としては個々の作家や個々の句の質を表現してなどいない。この言葉の成立に作家や句についての詳細な分析が伴っていたわけでもない。それは、いくらか操作された印象に基づいて、ただなんとなく噂としてすでに流通してしまっているだけのものに過ぎない。にもかかわらず、僕らは、たとえば『草の王』を読もうとするとき、あるいは『櫻翳』を 読もうとするとき、もはや読む前から、この噂を思い出さずにはいられない。このとき、僕らの思考に影響を及ぼしているもの、このインフルエンザ、これが俳壇だ。」


私は、ものすごく大雑把に、浅い理解で、多分的外れかもしれないし、そもそも的がどこかも分からないが、
「石田郷子ライン」って一種のカラーバス効果なんじゃないかって思う。

ウィキペディアより引用
「カラーバス効果(カラーバスこうか、color bath)とは心理学用語の一つである。カラーバスは「色を浴びる」の意。 意識していることほど関係する情報が自分のところに舞い込んでくるようになるといったものである。例えば、「今日のラッキーカラーは赤」といわれると、街でその色ばかりに目が行くなども、カラーバス効果である。」

そもそも、
「この言葉の成立に作家や句についての詳細な分析が伴っていたわけでもない」というように、
ただ中原道夫がそう言ったというのがこの言葉の出自である。週刊俳句時評78
そして、ここでいう軽い句、生活臭のない句は何も石田郷子ラインの専売特許ではないだろう。
高浜虚子にだって、水原秋櫻子にだってあるだろう。
もっともそういうことを言っているのではなくて、
検証されていないふわふわした状態(噂)発のキャッチフレーズが読者にバイアスをかけることを
指して、「これが俳壇だ」と言っているのであれば、
そういったバイアスはかかりたい人にしかかからないんじゃないかなぁとも思うのです。
かかりたくてかかるとも言えるかもしれない。
しかし、もちろん、この場合はこうだというだけで、いわゆる「俳壇」の問題がなくなる訳ではないし、かかった人がどうなってしまうのかってのも、考えるべきだと思う。

ちなみに火尖は保育園のころビックリマンシールの大ブーム期で
確かにシールを集めていたけど、裏の噂なんかには全く興味がなくて、というか字が読めなくて
ひたすら「キラ」と呼んでいたホログラム系のシールを大事に大事にしていた。
今だって、誰かに自分の句を読んでもらったとか、褒めていたとかいう噂は
全然多くないけど、とてもとても大事にしている。
まぁ、シールは全部なくしちゃって、これは全くの余談で、
結局、週刊俳句の記事に対して何が言いたいかって自分でもよくわからないんですけどね。

何か何でもいいから、言いたくなってしまう面白い話題だった。そこに尽きるのだと思う。

追記:誤字訂正
名前を間違えてました。響って…
すいません。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/02/03(水)02:05

こんな句集評が書きたい

この人はこんな人ですって言うときに、
目と鼻と口があります!って言わないですよね。ね。
まぁ一歩踏み込んで、綺麗な眼と低い鼻と、アヒル口だよ、すごくいい声だよって言ったら、
意外と食いついてこられたりすることはあるかもしれないけど、
それでも、別にそれだけが聞きたかったわけじゃないと思う。多分。
句集も同じで、中の句を抜き出して、一句ずつ語るのも、いいかもしれんけど、
全体の印象とか、この句集がどういう句集かとか、
そういうことを安易な引用や作者のオフショット(句集以外の情報)に頼らずに書いてみたい。
必要があれば引用もするけど、句集評という文章として面白いものを書いてみたい。
ていうか、読みたい。
多分いっぱいあると思うんだけど、数年俳句から遠ざかっていて
よく周りが見えていない。

追記:読み返してみたけど、これ、普通のことだった。
どこまでできるかは分からないけど、
今後取り上げたい句集。

柏柳明子「揮発」
すごい角度から言葉がぴったり面白く句になる感じの句集。
そのぴったり具合を書きたい。力説したい。

齋藤朝比古「累日」
物を見るっていうと客観写生とか言いがちだけど、
これは敢えてAR俳句って観点で書きたい。
拡張現実。

岡田由季「犬の眉」
すごく難しい。何度も書きかけて断念してる。
過冷却水って感じ。氷らせないように、書かないとって思う。

宮本佳世乃「鳥飛ぶ仕組み」
多分、句を抜き出して貼るだけで、
結構食いついてくれそう。今すでに引用したい気持ちになる。


さらに追記:
Twitterに更新が乗るようにしてしばらくたったけど、
これ、なんか面白い句集評が読めるんじゃないか、
紹介してるんじゃないかって期待してきた人を見事に裏切ることになってる。
すいません。そんなんじゃなくてすいません。
こういう時、気が回らなくて、すいません。
会社の出来た後輩が数十人規模の飲み会の時、全体に目を配りつつ
注文を捌いたり、超絶妙タイミングで鍋を作ったり、よそったりしてるのを見て
陥るちょっとした自己嫌悪に似てる。

毎回更新を載せるようにする設定はあんまり良くないかもしれないなぁ。

テーマ:俳句│ジャンル:小説・文学
俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/01/31(日)02:02

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自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

Twitter...A

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