スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告--/--/--(--)--:--

「子連れ」と「かぞ句」

少し間が空いてしまったのでそんなに詳しいことはかけないけど、

10月30日、三回目の子連れ句会がありました。

題は「食べ物」、大人は6名くらい?子供はいっぱい。

子連れ句会については、名前の通りですから説明不要だとは思いますが改めて言うと、子育てで俳句から離れた俳人や、子育てをきっかけに俳句に興味をもった人が、子供を連れて気兼ねなくできる句会のことです。

子供は子供同士遊んでもらって、大人は大人同士句会です。みんな子連れで来てるか、サポートで参加してもらってるので、途中騒がしくても退出しなくていいので助かります。

最近は現俳協の青年部主催で同様の趣旨の「かぞ句会」も始まって、今度は別のところ主催で歌会もあるらしくて、子連れ前提の句会があればいいなぁと想像してたころからすると、ちょっと変化がすごくて、どうなってるんだと思いますが、よくよく考えると、「子供連れてきて句会やろう」というだけなので、何も難しいことはないのです。やろう、子連れ句会!

ちなみにかぞ句会は、スピカの三人が中心になって、企画して、息子は紗希さんからりんごをもらって大喜びでした。あと、ついにあの俳人と初めて会いました。夫婦での参加もあって、かなり良い感じでしたよ。

ここまで書くとなんだかとってもいいことだらけのような気がしますが、三回目の子連れ句会とかぞ句会に参加して、何個か留意点があって、今後新しく子連れ句会を企画する人の参考になるかもしれませんので書いておきます。


・公民館の和室は比較的危険なものはないですが、かくれんぼを始めたり鬼ごっこを始めたりするので、ぶつからないように気を付けたり、けがをしないように気を付けないといけません。


・できるだけ広い部屋を取りましょう。


・大人は多いほうが助かります。第三回は葉月さんと、てふこさんに来てもらいました。ありがとうございました!


書いてみると当たり前ですが、句会への注意力は落としてでも、子供の動向は気にかけて安全確保が第一です。年長の子が小さい子と一緒に遊んでくれたりして、だんだん仲良くなってくの見ると連れてきてよかったなと思います。特にうちの子は休日仲良く遊べるお友達がいないので本当に助かります。

そして、小学生くらいになると、結構しっかりした句を出してきます。その前も四歳の子のビビッドな俳句に驚かされましたが、かなり面白い会になってます。

第四回は二月二十五日を予定しています。興味のある方はご連絡ください。

タイトルで言う割には内容に触れられなかったな。次回は熱いうちに記事にします。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/01/14(土)18:29

神奈川大学全国高校生俳句大賞最優秀賞について

兄面の兄恨めしき唐辛子

日記買う姉の意地悪書くために

かき氷弟らしくない自分   三原瑛心

これらは昨年発表された第19回神奈川大学全国高校生俳句大賞の最優秀5作品のうちの一つである。単発の賞としては高校生俳人の注目度の高い賞と言えよう。掲句に書かれているのは、兄姉に対する負の感情、自身の屈託を痛いほどストレートに詠った作者自身の姿である。

俳句甲子園未経験の私が抱く一般的な高校生俳人のステレオタイプを考えるとすると、それは、高水準の俳句スキルと感性を武器に攻守両面において立ち回りの効く句を発表し、ディベートも的確、俳句甲子園を勝ち上がってウェーイというもので、最後は幾分やっかみも入ったが、大人俳人から見るといやでも眩しく見えるのでそこはご容赦いただきたい。

しかし、実際の彼らに触れて見ると、「高水準のスキル」も「感性」もそれを習得する過程に嘘やごまかしはなく、ひたすら良い句、上手い句を作ろうと切磋琢磨しているのを感じた。良くも悪くも当然そこにはドラマが発生するし、俳句甲子園や賞という舞台を通してドラマが引き起こす「感動」によってスキル重視の傾向は俳句甲子園の意図とは違ったレベルで正当化され固定化されてしまっているのではないだろうか。上手さを求める風潮に若い俳人がどの程度近視眼的になっているか、その心の裡までは私にはわからないが、上手さとはある程度習得して損のない技術によって作られる類句類想の一パターンに過ぎないのだ。その点においては久留島元の年の瀬にに多くの示唆が含まれており、また、まとまった文として引用できないのが残念だが高校俳句の文法を理解しつつ引いて見ることのできる風見奨真や、俳句甲子園に対して批判的な眼を向けることのできる八鍬爽風など高校生の側からの反応に見るべきものがあることは付け加えておく。

さて、もともとは冒頭三句の鑑賞を一ヶ月ほど前から書こう書こうと思っていたのだが、先述の「年の瀬に」を読んだことにより前置きが長くなってしまった。そして、いつものスタイル、前置きだけ長くて本題は短い火尖パターンになってしまいそうだが、火尖の長文など読んでどうするのだ。しかしあと少しくらい読んでいったらどうなんだ。という心境だ。

さて、冒頭三句は決してスキルフルというわけではなくむしろ隙がある句と言え、例えば批判しようと思えば、「感情に寄りすぎて景が見えない」、「兄恨めしきと唐辛子が付きすぎではないか」、「恨めしきは切れるのか唐辛子につくのかわからない」「「姉の意地悪を書く」という答を言ってしまっているので広がりがない」などその批判の精度はともかく欠点をあげつらうことは比較的容易であり、全国クラスの高校生の水準からすると堅牢さにやや欠けるように思われる。しかし、そういった従来の堅い句と同様に掲句が選ばれたことにこの賞が一石投じたように感じる。私はこの句に、上手さという価値観とは別の「自分の詩」としての俳句を感じるのである。三原とはもともとTwitter上で付き合いがあり、実は彼自身は相当上手い部類に入る俳人だと思っている。しかし私が彼の句に惹かれるのは技術ではなく彼自身が俳句を「自分の詩」として絶対的に必要としていることが俳句から伺える点にある。言葉を握って離さない強さに惹かれるのだ。

最後に文中で的外れな批難例を出した分、

かき氷弟らしくない自分

について鑑賞して終ろうと思う。

「弟らしくない自分」は屈託した自己への眼差しと、その背後に透けて見える兄姉への充足しない気持ちが見て取れるが、口語の軽やかなリズムを使うことで、却ってそれを素直に表出できない鬱屈を感じさせ、ホースの口を絞るように感情の内圧を高めるという効果がある。

それに対してかき氷は幼少のころの兄弟の記憶を持ちつつも、あまりにも脆い存在として、溶けて崩れて、消えてしまうという宿命を背負わされてしまっている。かき氷は強く残る感情に対して消えてしまう宿命を負うことで季語としての役割を果たすと同時に、作者の孤独を際立たせてしまった。その結果残った痛みを、頭の中で何度も何度も反芻しているのではないだろうか。

彼のつぶやきからはっきりと漏れてくる生きづらさが彼の詩性の背景となっていることは疑いようはないが、その中で生まれる、自身に突き立てるような俳句は、紛れもなく彼だけが持ち得る強さの表れだと思う。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2017/01/01(日)03:35

気負いすぎた

前記事は気負いすぎたな。しかし、打算面から言わせていただくと、スタイルを明確にしてキャラ立てする。これが俳句などにおいてどれほど有効か、おわかりか?

正直、実感したことがないから分からないんだけど、分からないけど、有効なんだよ!多分!


雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/12/09(金)20:44

慣性の国

人間の適応力、対応力、忍耐力とは本当に大したもので、どんなに酷い会社であっても働く人がいるし、だんだん生活が苦しくなってもすぐに死んだりすることはないし、今までできていたことや大事にしていたことを捨てても環境の方に合わせてしまえるんですよね。むしろ、それができないと批判の対象になります。

大体の人がすぐに慣れることができるし、やり方さえ間違わなければどんなに環境がひどくても、むしろそれをありがたいとすら思い始める。特に民主政を採ってる社会ではその選択は自分たちが自身に下したものとして社会を規定するので、人間の心理として、間違った選択をしたとは思いたくない。この環境は望んで手に入れたものなのだと思いたいのだと思います。その結果、先程も言いましたが、まだ慣れない人、慣れることができない人、異を唱える人を、敵視し排除しようとする。動物としての本能なのかもしれませんが。

きっかけを作っていじめる。電通を批判した社員を戒告処分にする。有給を取る人の陰口を言う。保育園に落ちた人の問題提起を言葉の問題にすり替える。これらは多分同一線上の出来事で、さらに今起きている政治上の問題にも同じ構図が当てはまるものがたくさんあると思います。

ところで、私は俳句を作っています。人とは違うもの、今までなかったものを作ることで、やっと自分の存在を確かめられるタイプの人間です。新しくできるものは、今までなかったものでないといけないと信じる人間です。俳句でなくて、詩でも短歌でも何か新しいものを作ろうという人は多分そういう人が多いのだと思いますが、本当に新しい詩を作れる人間は、決して、慣れる側の論理に身をおいたりしないということです。正直、大した評論も大きな賞も受賞したことはないですが、「慣れないでいることを恐れない」この一点が、自分の俳人としての可能性を信じる唯一の拠り所であり、自分の信じる強さだったりします。すごい評論がかければそれを自信の拠り所にしたいところではあるのですが、そんなものないしな。

恥ずかしいですけどね、こういうことを書くのは。

でも大事なんですよ。自分にとって。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/12/09(金)20:27

日本語を知らない俳人たち

実は古典文法には自信がない。高校時代の副読本を参照したりグーグル先生に旧仮名チェックや活用、音便の確認をお願いすることも多く、それらがなければ私の俳句活動は極めて不正確なものになるか、いっそ口語でやっていたと思う。

しかし、俳句の短さにおいて、「ゐ」や「ゑ」、言ふ、てふ、などの旧仮名遣いの視覚的効果は有効で、また、季語の効果(過去の詩歌のデータベース的性格)を句の上に構築するには文語旧仮名のフォーマットでもって、過去との連続性を確保するやり方は理にかなっている。この辺は未だにプログラミングが英語をベースになされるのと似ていると思う。

私は古典が苦手であったし、なにより受験勉強が苦手であったから、それこそ高校時代の試験では英語の長文読解とまったく同じ感覚で古典の試験に当たるしかなかった。しかし現文がそこそこ良かったので、ひとまず地方中堅私大レベルには届いていたので、結局苦手は避けてこれ以上古典の文法を覚えようとはしなかった。

むしろ俳句を始めてから文法の副読本を辞書代わりにしている状態だが、基礎がなってないので、やはり十分とは言えない。そんな状況だから、何年か前に話題になった、池田俊二の「日本語を知らない俳人たち」は当時恐る恐る読んだ。間違いがあれば改めようと思ったのだ。しかし、読み進めてみるとどうにも納得できない。特に過去の助動詞「き」の連体形「し」を完了の意味で使うのが誤用だというところなどは、有名句を磔にして文法的に違うと言われても、句の方に魅力があるものだから、どうも言いがかりをつけているようにしか見えなかった。文法の知識も日本語の歴史の知識も乏しかったから、そのときは、「文法的には間違いかもしれないが、音律上のメリットを捨ててまで文法に義理立てする必要はないだろう、まぁこういう批判があることは頭の隅においておこう」と思って、途中で読むのをやめて図書館に返した。著者の批判する日本語を大事にしない俳人で別にいいやと言うのが結論だったが、少し負い目を感じたというか、傷にはなった。

この傷は後年、週刊俳句に掲載された下記反論のシリーズを読むまで消えなかったことを考えると、意外に深かったのだと思う。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7.html?m=1

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html?m=1

物理や化学、数学を例にすればわかる通り、高校の枠内で学ぶものは入り口の部分に過ぎない。入り口は大事だが、入り口ですべて片付くということはないのだ。もっとも言葉は変わりゆくものだから、日本語の得てきた豊穣さを捨てて教科書レベルに今後収斂されていくこともないわけではないだろう。できれば、そういった事態は言葉に関わる者としては避けたいところではあるが、言葉が変化していくこと自体は受け入れるしかないとも思う。

もっと勉強していればなぁと相変わらず後悔しているが、何にせよ日本語を知らない~をころっと信じて、したり顔で教科書レベルの知識を披瀝する嫌なおっさんになっていた可能性を避けれた過去の私は、中々冴えていたとその点においては満足している。


俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/11/17(木)09:34

2016年を振り返る。

もう年末が近いし、俳句の依頼があっても一本あるかないかだろうし
少し早いけど今年一年を振り返りましょうかね。
概ね一年継続して俳句にちゃんと関われてたかなと思う。
毎年年始には今年こそは俳句復活と思っていて何年もたってしまったけどようやく、復活と言っていいかな。
2013年に息子が生まれたときはこれで俳句ともお別れかと思ったけど俳句がなくなってしまうと、本当に坂道を転がっていくだけの無気力人間でしかないことに気付いたものだから、息子をベビーカーに乗せて2015年あたりからちょいちょいSaraには顔を出すようにした。
句会に出ればそれなりに俳句ができるものだから、少し息を吹き返せた。
それにTwitterとFacebookを始めたことで、切れてた俳句関係のつながりが回復したことがよかった。刺激をうけた。
あとは、現俳新人賞の受賞祝いの席で柏柳明子さんに復活の呪文をはっきり唱えてもらえたのが大きかったかな。現俳新人賞は残念ながら出せなかったけど炎環賞には明子さんと近さんの特選という勢いのつく票を得られた。
そして、今回も含め過去の応募作すべてで一ノ木文子さんの票を貰えているので、どの作品の出来にも実は相当な自信がある。
しかし、完成度という課題を突き付けられたことは無視はできない。
それにしても寒太先生と朝比古さんの票は遠いな。来年の炎環30周年の炎環賞は絶対にとる必要があるから、その点の強化は抜かりなくやりたい。
さて、外からもらったお話や自分で外に投稿したものを中心にまとめるかな。
2016年2月
東京俳句発足
作品に限るのではなく、俳句についての様々な事象を取り上げる勉強会
興味ある方は連絡お待ちしてます。
2016年3月
これは評判が良かった。もはや俳句世間の注目の外だというのになぜ話が来たかはいまだに謎。
現代俳句4月号「読み直す新興俳句 何が新しかったのか 5」レポート寄稿
2016年4月
子連れ句会発足。この句会が必要だった。それと性別に拠ったことをあまり言いたくないが、男の自分が言い出したことは、なかなか悪くなかったと思う。
2016年5月
振れ幅年間大賞あげたい。作ってて面白かった。
2016年6月
特になし
2016年7月
久留島元さんとこのウェブ版のkuru-coleの第一弾に取り上げていただきました。
そして外山一機さんの評。もう一回言う、外山一機の評!
kuru-coleはアンソロ未入集でこれからクル人というくくりで扱ってるんだけど、実は私、数年前の紙版のkuru-coleにも取り上げられていて、まぁ、留年というか、つまり全然来れてなかったわけです。しかし、あのころとは違う。
2016年8月
2016-08-21のオルガンまるごとプロデュース号に寄稿。当時は何一つ新しいことが書けず、知識も技術もなにもない文章をひねりだしただけにしか思えなくて、オルガン特集は他の人と比べてしまうのが嫌で読まなかった。今読むと、何一つ新しいことをいっていないけど、これはこれでまぁニッチを狙うという自分の方針に合致しているかな。
2016年9月
特になし
2016年10月
特になし
2016年11月
「『IN&ON』は日本語RAPと定型詩をテーマにした冊子です。2016年11月23日(水祝)の第二十三回文学フリマ東京にてリリース予定です。」(公式より)参加し7句寄稿
2016年12月
炎環20句選と短評掲載予定
こうしてみると、大したことないな!
でも子連れ句会でよい出会いがあったり、外山さんに会ったり、松本てふこさんに会えたりと
自分にとっては結構動いた一年でした。2017年は評論を書けるようになることと、会いたい人には会いに行くことをもっと増やしていきたいものです。


未分類 | コメント(2) | トラックバック(0)2016/11/14(月)02:19

安心して暮らす

何が起きても、何をされても

安心して生きていきたいし、生きてきたなんて

屠殺前の鶏はみんなそう言う。


雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/10/03(月)07:25

もや

政治家ではないので、言ってしまったことや書いたことには責任が伴う。
軽々に失言だったとか、撤回するなどと言えるものではないし、言ったとしても、何の解決にもならないと思ってる。

しかし、軽はずみに出てしまった言葉がその軽さも含めて、人に深く刺さってしまったときなどは、思わずその場を離れようとして、冒頭の間違いを犯してしまうことは、ある。
だから、取り消したいのは、もはや最初の発言ではなくて、そこから逃げようとした発言の方なのだが、結局もう発言してしまってるので、取り消しを宣言したところで、何の解決にもならない。

こうして、冒頭にループしてしまい、解決すべきことに何も触れられないまま、時間が経ってしまう。

私には慎重さが完全に欠けてて本当に嫌になる。
そのくせ、平常運転で日常を過ごしているのだ。


雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/09/07(水)19:17

句帳 詩歌トライアスロンに向けた詩の練習

推敲中
ほうたるのための焦点距離だつた
倉庫の脆き灯
妹 胡桃割るやうに
海鳴りを記憶せよ
銀漢の記憶薄れて
無花果を 捥ぐ
風のめくりし本の上
無花果をめくる指
無花果を裂く
秋晴れの立川へ行く準備する


詩の練習
向日葵に話してきたことを
今ここで再生してあげたくて、
必要な約束を交わしていく
中には戸惑ってしまうような眩しい色や
音の細かな反射、水についてあきらめる二つのこと、
全て丁寧に塗りつぶしてもらった
・・・・

それっぽい、それっぽいかもしれないが
それっぽいだけではだめだろう
しかし、まずはそれっぽいものを作りきってからだな。
それは、なんでもそうだろう。

ごはん食べよう



句帳 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/09/04(日)16:36

かなり品のない自意識の空振りについての浅い考察 

浅は尖なり、こんにちは火尖です。
俳句甲子園は今回初めてある程度追うことができて
とても満足しています。
特に、家政学院の話題句については、面白かったですね。
週俳でも取り上げられているし、随所で考察がなされているから
もはや尖が出る幕でもないのだけど、みんな深い所に行ってしまって、
浅瀬の火尖は取り残されてるから、印象論や技術論を中心に
パシャパシャ水遊びする感じです。

さて、その、

利口な睾丸を揺さぶれど桜桃忌

については特に、2016/08/28の週刊俳句、福田若之の
利口であることも睾丸であることも桜桃忌であることも、さくらんぼの形も、
文の構造も、すべてを、太宰の「桜桃」を読み解くことで、
人間の「根底的な悲哀」に迫っていく、迫真の文章だった。
まだ未読のひとは、すぐにでも読みに行くと良い。
そして、別に戻ってこなくていい。

これから、始めるのは知識のない火尖が、
つまり、下品な自意識をぶら下げたある男が受けた恥ずかしさについてだ。
太宰の知識は無くて構わない。桜桃忌が太宰の忌日であるということさえ
知っていれば十分だ。

まず、「利口な睾丸」について、家政学院が試合で先に出した句のなかに、

船員の常に利口や小望月

という句があり、自解で、船員を揶揄したと発言していたので、
男性器に利口などとくっつけられれば、これも揶揄と捉えて
おそらく問題はないだろう。利口についての詳細な評は
週俳で十分語られているため、ここでは割愛する。男女ともに目を引く措辞だが、
特に男性にとっては、当事者だけに、尚更注目してしまうだろう。
「小生意気な女学生(この句の主体としては適切だろう)」に、シンボルかつ急所たる睾丸を揺さぶられるという
想像をした者は静かに手を上げろ。
そこで君たちがどのような感情を持ったかは、今は問わない。
静かに手を当てて今の気持ちを大切にすればそれでいい。
大事なのは、次の「揺さぶれど」で切れていることだと思う。
逆説で切れているので、次に来るのは俳句的な経験でいえば、
おそらく、うんと飛躍させた季語が来るというのがセオリーであり、
もう勘弁してよという、男性陣の願いでもある。
しかし、出てきたのは

「桜桃」忌、さくらんぼである。

逆説でつなぐかに見せかけて、ド直球の急所狙いなのだから、
急所で急所を狙われた会場のどよめきたるや想像に難くない(ちょうど句の発表の時はSara句会に行ってて見れなかったのです)
そのとき具体的に浮かぶ景は、サクランボのような睾丸である。不可避。
そして、ここが、本当に作者の優れたところだと思うのだが、
桜桃と出しておいて、実はサクランボでもなければ、現実のモノですらない、
そう桜桃忌なので、当然忌日で、文豪、太宰治の命日なのだ。睾丸と本来まったく関係ない。
つまり、飛躍と見せかけて直球、と見せかけてセオリー通りの飛躍系季語である。
読者の読みの自意識を自在に利用したはぐらかしに
火尖はまんまと引っかかり、素直にすごく驚かされた。恥ずかしいあけすけな想像をしてしまった。
このような感情の揺さぶりを、句を読む一瞬で三回、
読者を打ち込む凶暴な句を私は急には思いつかない。ないかもしれない。
ボクサーに例えたほうが早いくらいだ。それぐらい面白い句だった。
そして、福田若之の評を読んで、さらに、この句のファンになった。

最後に、かなり品のない体で評を書いてしまって、
作った方に、無用のストレスを与えてしまったとしたら本当に申し訳ない。
しかし、できる限りこの句に驚かされたことを正直に書こうと決めたら
こうするよりほかになかったのだ。
品がないのは火尖の方なのだ。悔やむ他ない。

しかし、俳句に品とかを、むやみやたらと求めたがる奴の心根の方が
正直、つまらないと思うし、この句自体は、とても面白く読めるが、読み手の自意識を抜いて、
俳句表現の歴史や枠で捉えれば、良くも悪くも収まっている句だとは思う。
なので、この句が作者のこれからの人生に必要以上に重石にならず、
作者の青春時代に生まれた、一つの成果として、ちゃんと輝けばよいなと思う。




俳句の振れ幅 | コメント(0) | トラックバック(0)2016/09/04(日)09:00

«  | HOME |  »


自己弁護

kasen

Author:kasen
1984 11 生まれる。
2005 03 俳句を始める。
2006 01 炎環入会

好きな食べ物・ラーメン
好きな建物・図書館
好きなのは言葉。

Twitter...A

nishikawaksn17 < > Reload

火尖箱(お知らせ)

12月
現在迷惑コメント対策のためURLなど書き込めない状態になっています。ご迷惑をおかけします。

打率

探検する

探し物はなんですか

月刊火尖

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。